◆「善勝寺折々記」
★はじめに
 当コーナーは善勝寺 有常(京将棋連合 代表)の個人的な文章であり、京将棋連合の公式見解ではありませんので、その点をあらかじめ宣言しておきます。朝日新聞で大岡 信さんが寄稿されている「折々のうた」からヒントを得て「善勝寺折々記」と名付けてみました。  
★過去掲載分・・・[第1〜10話] [第11〜20話]
★30 平城京遷都1300年記念
    またまた、ずいぶん間隔が開いてしまいましたが、今回で区切りの30回目となりました。
さて、2010年は平城京遷都1300年記念ということで、関西の奈良ではいろいろと記念行事が開催される予定のようです。まぁ今のところ一番話題になったのはマスコットキャラクターの「せんとくん」でしょうか。平城京遷都は710年・・・「何と立派な平城京」「何と大きな平城京」「納豆食べて平城京」などと年号を暗記した学生時代が懐かしくもあります。

ところで平城京の京はもちろん京将棋の京でもありますので京将棋ともゆかりが深いものを感じます。そこで京将棋のイベント(対局会)を2010年の平城京遷都1300年記念に合わせて開催したいと考えております。まず2009年にプレイベント、2010年に本イベントという予定です。詳細が決まり次第当サイトに載せる予定です。どうぞご期待下さい!

桐鳳凰図屏風写真は江戸時代の絵師、狩野探幽作の桐鳳凰図屏風(サントリー美術館蔵)
一対の鳳凰と間に子供の鳥、桐などが描かれた縁起の良い図柄だそうです。京鳳・京凰は京将棋に欠かせない駒ですが、それを考えるとこの名作は京将棋とも縁があるといえます。実に美しく立派な名作ですね。見とれてしまいます。実物はまだ見たことないのですが東京のサントリー美術館所蔵ということで是非一度生で鑑賞したいものです。


(記載2008年12月31日)
★29 ネタ枯れ警報
  ずいぶん間隔が開いてしまいましたが、当コーナーも今回で29回目と筆不精の私にしてはよく続いた方だと一面では感心しています。しかし、さすがにネタ枯れ警報発令中といったところで、書くことがなくなってきました。先日のニュースで2005年を象徴する漢字一文字は「愛」ということでしたが、そう言えば当コーナーで去年の漢字一文字の事を話題にしたことを思い出し、当コーナーも長期間更新していないことに気付いた次第です。
 久しぶりに自分で当コーナーを見てみると、随分と読みにくいなぁという印象でした。原因は一行がだらだら長いのと、背景色もいまいちだからではないかと思い至り、スタイルを変更することにしました。早々に本屋でホームページの作成法を判りやすく解説している本を物色して購入してきました。「速攻!図解ホームページ作成」(森理浩著、毎日コミュニケーションズ、¥1280+税)という本ですが、結構判りやすくいい本でした。すぐ設定法が判り、横幅の制限と左のマージンを取ってみると随分見やすくなり、¥1280+税を投資した甲斐がありました。また、背景画像はフリー素材を提供してくれているサイトから拝借しました。感謝・感謝、リンク集に掲載させていただいております。

 ところで、最近は小学生女児が相次いで悲惨な事件の犠牲になるとか、構造計算を偽装した建築物の発覚など暗いニュースが多いわけですが、景気のほうが少しずつ回復してきたのは歓迎できます。経済に余裕ができて、人の心にも余裕・ゆとりができ、盤が大きく「ゆとりの将棋」である京将棋が普及してくれればうれしいんですがねぇ。(記載2005年12月14日)
★28 「災」の年去る
  2004年を象徴する漢字一文字は「災」でした。中でもスマトラ島沖の地震津波災害は死者15万人以上となり史上最悪クラスのものとなってしまいました。英語のCNNニュースを見ると'tsunami disaster'として報道されており、つなみが英語にとりこまれているのに驚きましたが、津波という概念のない国も多いということで、それに相当する言葉がないためtsunamiを採用したということでしょう。'tidal wave'というより響きに迫力がある感じです。正月休みともろにかぶれば、日本人の被災者がもっと増えていたはずですが、ちょっとずれたのが不幸中の幸いでした。今後は太平洋地域のみでなく全地球規模のtsunami warning systemの構築が必要でしょう。

 「災」は将棋・囲碁界にもあり、中でも日本棋院理事長の加藤正夫九段の急逝は57歳の若さということで衝撃的でした。昨年は前理事長も自殺ということで、一年の内に前理事長と現理事長が鬼籍入りされた訳で、まさに「災」の年でした。ご冥福をお祈り致します。一方、我らが京将棋連合にとっては特にこれといった「災」はなかった訳ですが、相変わらず京将棋の普及面では進展がなく、低迷の一年であったとも言える訳で反省点は多々あります。 このまま行くと長期低迷が固定化してしまうので何とかしたい訳ですがこれといった妙案もなく、なにか起爆剤が欲しいところですね。あまり先の事を言うのもなんですが、多分2008年の漢字一字は「京」になると思うので、北京オリンピックの「京」のみならず、京将棋の「京」として注目を浴びるのが理想的展開でしょうが、それは夢物語でもあります。ただ希望は捨てずに地道に頑張るのみです。何があるのか予測不可能なのが世の中ですからね。

 ところで去年去ったものといえば我が家ではブラウン管TVがそうでした。「ジジジジジ〜〜〜ブツッ」目の前でB管TVがご臨終となりました。製造年月日のシールを見ると84年1−6月期製ということで、なんと20年選手だったのです。NHK杯の将棋囲碁番組を見ても、既に盤の升目が直線からずれて、くねくねしており、さらに駒の字も解像度が呆けて判読不能など末期症状ではありましたから、まあ天寿を全うしたご臨終でした。早速に大手家電量販店へ車を飛ばし見に行きました。TVがないと何か落ち着かないですからね。プラズマ・液晶の大画面TVはさすがに魅力的だが値が高い。B管TVはバカ安だが、かさばる・重い・消費電力大ということで、さんざん悩みましたね。4:3の従来画面と16:9のワイド画面の選択にも悩みました。ただ、京将棋は「ワイドな将棋のワイドな楽しさ!!」をキャッチコピーにしているのでやっぱりワイドにするかとも思いました。結局迷い過ぎてその日は結論が出ず、仕切直しとなってしまいました。

 後日、実際に購入したのは液晶TVでした。さすがに大画面は値が高過ぎ、中画面程度に落ち着きました。これでNHK杯戦を最初に見たときにはまさに感動しましたね。「升目がしっかり直線! しかも駒の字も判別可! さらに榧の柾目盤の木目まで見える!」だったからです。薄型でかさばらないので部屋が広く見える効果もなかなかのものです。B管TVはやっぱりもう時代遅れということでしょう、液晶TVにして大正解・大満足でした。(記載2005年1月5日)
★27 アテネ五輪が終わって

 「真実の母オリンピアよ あなたの子供達が 競技で勝利を勝ちえた時 永遠の栄誉(黄金)を与えよ それを証明できるのは 真実の母オリンピア」 (古代詩人 ピンダロス)

 この詩は、ハンマー投げの室伏広治選手が銀メダルの裏側に刻印されたギリシャ文字を専門家等の助けを借りつつ訳出したものであり、オリンピア祭典の勝者を讃えた「オリンピア賛歌」の一節ということです。ピンダロス(518〜440BC)はテーベ出身の詩人ということですが、かなり売れっ子の職業詩人だったようで依頼者からの注文に応じて華麗壮大な詩を作るのが得意だったようです。

 今回のアテネ五輪は、ギリシャの英雄ケンデリス選手(陸上競技)のドーピング騒ぎで始まり、ハンガリー選手のドーピング疑惑による室伏選手の繰り上げ金メダルで終わるというドーピングに振り回された五輪でもありました。違反者も過去最高の24人(メダル剥奪は7名)に達するなど今後に大きな課題を残しています。

 「われわれ人間というものは馬鹿だから、足もとに転がっている幸運は見過ごしてしまう。
そして、手の届かないようなものばかり、追い求める。」 (ピンダロス)

 これもピンダロスの残した箴言とされていますが、冒頭の高邁な賛歌と比べると全く雰囲気が違いますね。こちらの方がピンダロスの人となりを良く示しているようにも思えます。ちょっとした皮肉屋さんですね。しかし、まさに、「手の届かないようなものばかり、追い求める」その結果としてドーピングに手を出してしまうんですね。やっぱりピンダロスの言うように人間は馬鹿なんですね。彼の言葉は彼の時代の2500年後のアテネ五輪まで見透かしているようで恐れ入りました。ただし、人間は手の届かないようなものばかり、追い求める馬鹿・・・だからこそすごい発明や発見、ブレークスルーを達成してきたとも言えると、私は考えております。

 さて今回の五輪では色々と問題も多かった訳ですが、感動もやはり沢山あったような気がします。日本の柔道での成果や、男子体操の見事な復活劇、女子マラソンの2大会連続金メダルなどですね。高橋Qちゃんがもし出ていれば、野口みずき選手とダブルメダルとなったのか、あるいは英国のラドクリフ選手のように失速リタイアという無惨な結果となったのか興味深いところです。私が選考委員ならQちゃんは外さなかったですが、今更言ってもどうしようもありません(^^;)。

 ところで、アテネ−北京という五輪のリレーは京将棋とも因縁が深いということに気が付かれましたでしょうか?そうなんです、アテネはギリシャの京ですし、北京は中国の京です。アテネ市街からアクロポリスの丘を見た眺めは、まさに京という漢字の┴ですし、その上のパルテノン神殿は|ですね。特に次の北京五輪の公式マークは京の字を人間が躍動しているようにアレンジしたもので、まさに京将棋の京になっています。つまり見方を変えれば、北京五輪は京将棋の宣伝を全世界に向けてやってくれている様なものなんですね(^^)。それだけに、この北京五輪にあやかって京将棋もなんとか知名度を上げてブレークできる手だてはないかと考えております。この北京五輪を京将棋にとって普及のための千載一遇の好機としたいものです。まあ先程のピンダロスの箴言を借りれば「手の届かないようなものばかり、追い求める」という事になりますが、やはり少しはブレークスルーも狙わないと人生萎縮してしまいます(^^;)。具体案としては、北京五輪の前景気をあおるためのイベントとして京将棋の大会を実施するなど可能性はなきにしもあらずです。(記載2004年9月5日)
★26 左と右の世界
  京将棋には左京将棋と右京将棋があり、いわば左と右のコラボレーション(collaboration)により成り立っている訳ですが、世の中を見渡してみると、結構そういう左と右の世界を内包しているものが多い事に気づきます。

 ・野球
 NYYのゴジラ松井は左のバッターBOXに入りますし、YTG清原は右です。NYMのリトル松井は器用にも左右両方使い分けできます。剣道の正眼の構えのように中央で正対するのは野球ではありえないんですね。打者にそんなことされたら審判がボールの判定ができませんね(^^);それに打者も怖すぎでしょうね。150kmの硬球が体めがけて来るわけですから。この左でも右でも選べるというシステムは京将棋と共通ですね。野球と京将棋には意外な接点がありました。

 ・アミノ酸などの化学物質
 これは当コーナーの第2回でも取り上げましたが、化学でいう異性体の話しになります。偏光面を左に回す場合をL型(Levorotatory)、右旋回をD型(Dextrotatory)と言います。アミノ酸にはこのL型とD型が存在しますが、体の中で働くのはL型のみです。うまみ成分のLグルタミン酸ソーダは有名ですね。これが異性体のDグルタミン酸では、うまくないということです。ごまの有効成分のセサミンには異性体のエピセサミンがあり、通常1:1で混ざっているようなのですが、どうもエピセサミンの方が生体への効能が高いという研究例もあります。またDNAのらせん方向にも理論上左右あるが、地球上の全生物は共通して一方向のみという事ですし、自然界には左と右にまつわる事象が数多いですね。

 ・自動車
 左ハンドルと右ハンドルがあるのは常識です。私が面白いと思ったのはエンジンの回転方向に左右があると言うことです。世界の主な自動車メーカーのなかでは、日本のHONDAのみが他社と違う回転方向(反時計回り)だったそうですが、最近のi−VTECエンジンからは世界標準と同じ方向に変更しつつあるようです。ちなみに、エンジンを後方から見て時計回りとか反時計回りを言うそうです。私はHONDA車に乗ってますが一度も回転方向は見たこと無いですね(^^);今度見てみよっと。

 ・文学
 「鏡の国のアリス」(ルイス・キャロル著、脇明子訳、岩波書店)で、アリスが鏡の国に入るとき子猫に「鏡の国のミルクは飲めないかもしれないわね」と語らせているようです。すごい洞察力を感じますが130年前に著者は異性体の事を判っていたのでしょうか?また、ネットで読める短編小説で私のお薦めは「鏡の国のファルス」(中条卓著)でしょうか。アリスは幼女ですが、ここの主人公は中年男性です。今まで小説などは本や雑誌として購入していたのですがこうやって佳作がネットで無料で読めるというのもなんか不思議な気分ですね。このサイトはAnima Solarisですが、他にも数多くの作品が閲覧できるようです。私は早々ブラウザーの「お気に入り」に追加しました。

 ・左京と右京
 現在京都市には左京区と右京区がありますが、元をたどれば昔の都城制のなごりとも言えます。京域の中央を南北に走る朱雀大路があり、その東側が左京、西側が右京となっていました。昔の平安京では右京地域は低湿で住宅建設には不利なため左京に人気が集中した結果、左京と右京の都市的バランスが崩れたようです。以前にNHKの番組で京都盆地の地下水の流れを調べた結果がCGなどを使って示されていましたが、北東から南西への地下水の流れがはっきりしており、何故右京は湿潤なのかよく判りました。なお、将棋盤には地下水脈も地形的高低差もないですから、安心して左京将棋、右京将棋ともに楽しめますのでご心配なく(^^);
 ところで、平安京の朱雀大路は道幅28丈(約84m)もある堂々たるメインストリートだったそうですが、現在の地名でいうと千本通りとほぼ重なります。ただし、今の千本通りはそれ程の広さはなく、現地へ行っても往時の朱雀大路を想像することは全くできないですね。JR二条駅前に朱雀門跡を示す石標があるので、かろうじて「そうだったのかなあ」と思う程度でしょうか。むしろ今の京都御所(御苑)へ行って中央のメインストリートに立ち、玉砂利を踏みしめて北に建礼門と紫宸殿を臨む方が雰囲気がそれらしい気がします。もっとも道幅84mもありませんので頭のなかで周りの情景をスケールアップして想像してみる操作が必要です。

 最後に左と右に関する諸々をテーマにした面白そうな本を紹介しておきます。

 ・「左と右で自然界をきる」(根平邦人編著、三共出版)
 ・「左と右の科学」(富永裕久著、ナツメ社)
 ・「左と右の心理学」(マイケル・C・コーバリス他著、紀伊国屋書店)
 ・「左右を決める遺伝子」(柳澤桂子著、講談社)

 これ以外にも沢山の関連書籍があり、このテーマに深く首を突っ込むと、一生涯の研究テーマにもなりそうですね。気をつけないといけません(^^)。(記載2004年5月9日)
★25 これは至言です

  「将棋の普及は特別に傑出した一人によってできるものではないし、衆に抜きんでた強豪によってのみ進むものでもない。将棋の上手下手にかかわらず、熱意のある多数の人々によってなされるものである。・・・以下省略」
(「将棋の駒はなぜ40枚か」増川宏一著、集英社)

 この本のこの部分はまさに至言と言うべきでしょうね。読んでいて思わず「そうなんだよな」と声に出して相づちを打ちたくなりました。もちろん江戸時代の大橋家や伊藤家という将棋家の代々の当主達が弟子の育成や将棋の普及に並々ならぬ熱意を注いできたという事実ははっきりしておりますが、市井の無名の将棋好きの人達の功績も大であったということなんですね。京将棋の普及についても全く同じことが言えると思います。京将棋の上手下手は関係なく、熱意のある京将棋指しをどれだけ増やせるかが普及の鍵と言えるでしょう。

  「17世紀になっても公家の多くは中将棋を好んでいた。」(出典は前掲書)

  江戸幕府の大棟梁を勤めた鈴木修理長頼の日記である「鈴木修理日記」には五代宗桂と中将棋を指した記録(1679年)が残っており、この頃は公家のみならず長頼のような幕府のお役人にも中将棋の愛好家が広く居たようです。将棋(小将棋)と中将棋が併存していた時代ですね。ただ19世紀以降は中将棋が衰微し、将棋全盛の現代に至ったようです。やはり中将棋は道具仕立てが大がかり(12x12の盤で駒数は92枚)のため庶民への普及には将棋(小将棋)の方が圧倒的に有利だったということでしょう。もちろん将棋は駒の再使用ルールにより、ぐーんとゲームとしての奥行きが増して面白いゲームになっていた点も見逃せません。

  「(天野宗歩は)巷間に宗桂との不仲が伝えられているのも、賭将棋はじめ不道徳な行為が多かったからであろう。・・・中略・・・将棋の強さが必ずしも高潔な人格と結びつかない典型であろう。」(出典は前掲書)

 これには正直驚きました。天野宗歩といえば幕末の棋聖ということでさぞ立派な人物と思い込んでいたんですが、実はとんでもない詐欺師の顔もあったんですね。ある時、詐欺的な賭将棋が相手にばれて番所へ訴えられますがもし宗歩が罪人となればその師匠の宗桂の将棋所の身分にもかかわってくるので、なんとか手を尽くして内々で済ませることで決着したそうです。ただ騙し取られた金は被害者には一文も返らなかったということで、おそらくもみ消し工作のためのお役人への賄賂に消えたのではないでしょうか。

 またこの本では「大橋家はじめ将棋三家を家元と呼ぶことは正確ではない」とする主旨のことが述べられております。その根拠は「技能が客観的に評価しにくい領域で、技術よりも伝統的な権威の方が優先すること」という家元制度成立の条件のひとつが将棋では当てはまらないからだそうです。茶道や華道では今も家元制度が続いているのに比べて、将棋三家は将棋家としては終焉し、日本将棋連盟という社団法人がその役割を引き継いでいることを考えると確かに将棋と家元制度はミスマッチといえるのかもしれませんね。もちろん京将棋連合も家元制度をとるつもりは全くなく、近代的な組織を指向しております。

 京将棋の普及という大きな命題を抱える京将棋連合の当事者としましては、この本は多くの事を教えてくれる貴重な将棋史と言えます。まだ見ていないという方には是非購入ご一読をお薦めいたします。(記載2004年4月5日)       
★24 「折々の記」と「折々記」の違いについて
   web書店で検索すると「折々の記」という書名の本が沢山ある事が判ります。一部紹介しますと、

   「折々の記」吉川英治著、講談社
   「折々の記」松下幸之助著、PHP研究所
   「折々の記」三浦文子著、風媒社
   「折々の記」清田金吾著、日本図書刊行会
   「倉嶋厚の折々の記」倉嶋厚著、東京堂出版・・・などなどです。

  実にそうそうたる大物の著者達も並んでいます。ただし私の手元には一冊もないので、どんな内容の本なのか全く紹介できないのが、残念です。一方面白いことに「折々記」で検索するとゼロ件なんですね。どうやら普通の日本語の感覚では「折々の記」と「の」が入るのがごく常識的であり、私の選んだ「の」抜きの「折々記」は特殊例と言えそうです。元々「折々記」の題名を思いついたのは大岡信氏の「折々のうた」(岩波書店)がヒントになった訳ですが、これもやはり「の」付きです。web書店だけでなく国立国会図書館や一般の検索サイトで探しても「折々記」は見つからないので、つまり「折々記」は当コーナーの発明じゃないの?と一瞬自慢したくもなりますね(^^)。ただ肝心の文章の内容が駄文ばかりでは説得力に欠けますが・・・(^^;)。上の例では5冊目の「倉嶋厚の折々の記」などは「倉嶋厚折々記」と当コーナー風に改題すればより引き締まってかっこいいと思うのですがねえ。まあこれは単に私の個人的好みにすぎないのかもしれません。

  実は「折々記」には2つの意味が込められているという事を紹介したいと思います。ひとつめは、「折々記」を「おりおりき」と読み、「思いついた様に時々記す」、「定期的ではなく不定期に記す」、「何かひとくぎりあるごとに記す」という意味です。これは多分「折々の記」と同じ意味だと思います。もうひとつは、「折々記」を「せつせつき」と読みます。「骨折」、「折衷案」、「挫折」などの場合に「折」は「せつ」と読みますがそれと同じ読み方です。この意味は「せつない、せつない記」という意味です。「世の中は決して自分の思う様には動かないので、その悲哀を記したもの」ということになります。今回の表題を、「『折々の記』と『折々記』の違いについて」としましたがこの2重性がその違いの主たるものと言えます。

  希望としては「おりおりき」の内容が主体で「せつせつき」の割合は少しの隠し味的程度にとどめたいと考えておりますが、今後の京将棋や京将棋連合の将来展開によっては逆転するかもしれませんね。そうならないように頑張らないといけません(^^;)。(記載2004年3月10日)    
★23 善勝不善者は仏典のことばでした

  「等智定解脱 知己無有悉 若為悪意者 怒有怒果報
   怒不報其怒 勝其彼門負 忍辱勝於怒 善勝不善者」

  上の文は漢字の仏典(「法集要頌経」)からの引用です。中華電子仏典協会のサイトから引用させていただきました。私は仏教関係者ではないので、この原文を正しく解説することはできませんが、だいたいの意味は分かるような気がします。つまり、「もし悪意をなす者に対して怒(いかり)を持って臨んでもそれは報われることはない。怒よりも忍辱が勝っており、結局のところ、善を為していれば自ずと不善者に勝ることになる。」というような意味に勝手に解釈してみました。

 「怒有怒果報 怒不報其怒」の部分はまさに仏教的な言葉ですね。中東のアラブ・イスラエルの紛争などはまさに怒と怒の応酬ですからいつまで経っても終わりが見えません。まあユダヤ教とイスラム教の人達に仏典の言葉を講釈しても聞いてもらえないでしょうが、「勝其彼門負 忍辱勝於怒 善勝不善者」という悟りを開いて欲しいものです。しかし、これはなかなかできることではないということも真実です。ただ、将棋の指し方には応用できそうです。つまり、「相手の無理手に『このぉー』と怒りでもって指すと指し過ぎになってしまう場合がままありますから、そこは冷静に忍辱で耐え、じっと善手を指していれば最後には相手の無理筋をとがめて勝利できる」というふうなことでしょうか。まさに「善勝不善者」です。将棋の技術書は世にあふれていますが、こういう仏教的将棋勝利法はいままでにあまり見ませんからまとめてみると面白いかもしれませんね(^^)。

  善勝ついでに、検索サイトでみると日本全国に善勝寺というお寺がやたらに多いことに驚きます。滋賀、埼玉、岐阜、下関、尾道、松山、千葉などなど、ざっと見ただけでも10寺は下りません。やはりこれは上で述べた「善勝不善者」という仏典に由来する命名なんでしょうかね、寺名を仏典からとるのはごく自然にみえますから。数多い善勝寺から私が一つだけ是非訪ねてみたいと思ったところが有ります。それは「善勝寺の桜」で有名という岐阜県白鳥町にある善勝寺です。実際写真で見ると見事な桜というほかありません。
善勝寺の桜 この写真は白鳥町役場の公式サイトよりコピーさせて頂きました。県の天然記念物に指定されており、品種はエドヒガン、幹の太さは約3.6m、開花は例年4月25日頃だそうです。なかなかのものですね。東海北陸自動車道が現在白鳥まで延びており、白鳥ICで降りてすぐでしょうか。福井方面から大野市経由で白鳥へ抜けるコースもあるようです。桜の時季に酒抜きで花見ドライブを楽しむのもいいかもしれません。でも、私のポンコツカーでは長距離ドライブには大いに不安ありなのが難点です(^^;)(記載2004年2月6日)
  
★22 大局将棋について
  以前当コーナーの第20回で古代中国の四霊(麒麟、鳳凰、亀、龍をいう)の中で亀だけ将棋の駒に採用されていないという事を述べました。もちろんこれは将棋、京将棋、中将棋について当てはまる話です。さらに大将棋、天竺大将棋、泰将棋にも亀駒は無いようです。では、日本将棋の中で最大規模の大局将棋(盤は36x36升、駒種208種、駒数804枚、第15回参照)ではどうだろうと思い、探してみると何と存在していました!「大亀」と「小亀」です。成り駒はそれぞれ「霊亀」と「宝亀」。やはり生知識で喋るのは間違いの元ですね(^^;)大いに反省致しました。ところで、驚くのはこの亀駒の動きで、大亀・小亀ともに角より強力な駒です。角の斜めの動きに加えて、前後左右にも動けます。実存のゆっくりした動きの亀とは大違いでまさに超亀とでも言うべきでしょうか。図1.に「小亀」の駒動きを示しておきます。

 そこで次におそらく読者の方は「では京将棋の京(2文字では京鳳、京凰、京翔)の動きの駒も大局将棋にはあるに相違ない」と思われたのでは無いでしょうか?この答えは意外でしょうが「大局将棋の駒に京の動きと同じものはない」ということなんです。2段先へジャンプできる駒は沢山あるのですが、京のように3段先へ行く駒は大局将棋でも存外に少ないんですね。3段先へ飛べる駒の例として図2.に「飛猫」をあげておきます。

    \□■□/                   ■□□■□□■
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    ●●亀●●                   □□□□□□□
    □/■\□                   ■□□猫□□■
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  図1.大局将棋の「小亀」の駒動き      図2.大局将棋の「飛猫」
  (■へ動ける、●は動けるが飛越し不可、\と/は走り)

 飛猫の動きを見ると3段目や斜め3段目にぴょんと飛び越す様はまさに猫が飛んでいるのを彷彿とさせ、ぴったりのネーミングだなあと、考えた人のセンスの良さを感じて妙に感心しました。古代の日本人のユーモアのセンスも相当なものです。

 ところで、「駒種が208種類もある大局将棋の駒でも京と同じ動きの駒が無い」ということはどう解釈すべきでしょうか。京の駒動きがそれ程特殊な動きであるという考えも生じるでしょうが私個人としてはそうは考えません。ではどう解釈するかというと、京は桂馬の進化した姿と考える訳です。より遠く・より速く・より強くは人間を含めて全ての生き物の進化の一方向です。2段先までしか飛べない桂馬がもう一段と念じるうちに3段目まで飛べる京へと進化したと考えるのが一番シンプルでわかりやすい解釈と思います。実際子供にもそうやって説明すれば判ってもらえると思います。つまり、京が桂より1段先へ跳べることについて、「ゾウさんの鼻が長〜いことや、キリンさんの首が長〜いことと同じことなんだよ〜。」と教える訳です。なんと京将棋で子供に進化論まで教えることができるんですね(^^)。

 最後に大局将棋の駒動きについてはwebサイト「大局将棋FLASH」を参考にさせていただきました。記して感謝致します。(記載2003年12月5日)
★21 駒の並べ方について
  以前当コーナーの第8回で京将棋の対局開始の作法について話題にしたことがありました。そこで第一優先権者が京駒を自陣の左京か右京の位置に打ち据えて初期配置の指定をするか、あるいは、先手番を取るときは京駒を相手に差し出すか、相手陣にそっと置くとしました。そっと置くのは、激しくばしっと置くとけんかを売っているみたいな不遜な態度になるからです。ある人はこのことについて、「将棋では玉を最初に置くので、京将棋でもそうすべきでは」という意見でした。いかに鳳凰が神々しい霊獣(第20回参照)とはいえ、将棋で一番大切なのはやはり王将だからそういう意見がでるのはもっともです。

 参考のため将棋の代表的並べ方についてふれておきます。

 大橋流・・・まず玉、左右交互に金、銀、桂、香。そして角、飛。最後に歩を中央からはじめ左右交互に並べる。
 伊藤流・・・まず玉、左右交互に金、銀、桂(ここまで大橋流に同じ)。そして歩を左から順に並べる。次に香を左右、角、飛で完成。(参考 月刊「近代将棋」2002年4月号)

 TVの将棋関連番組でタイトル戦などを紹介するとき、タイトル保持者が駒袋から駒を出して、両対局者が駒を並べるところが放映される場合がよくありますが、ほとんどの場合伝統作法の通りに並べているようです。もちろん縁台将棋ではそんな作法通りに並べる人は少ないでしょう。最初にふれたある人の意見は多分「大橋流でも伊藤流でも玉は最初に並べる」ということを根拠にしていると思われます。もちろん京将棋では京でなくとも玉の位置で左京か右京か意思表示できるので、玉を最初に並べても不都合はないと思います。

 ただし京を最初に並べる理屈も大いにありますので、その点について説明を試みてみます。まず、京将棋では「将棋とは敵京と味方京が唯一の京を目指して争う戦いのゲームである」という本質論に立脚しています。つまり平安京や平城京と同じく天皇(王)を中心とした勢力の集合体が京である訳です。そこで考えるべきは、京の成立過程でまだ何もない、一面野原のようなところに真っ先に天皇が行幸して遷都が始まるのだろうかということです。むしろ、ある程度の造作が進み、完成度は低くても一応京域はここだよと威厳を持って示せる段階で遷宮があるのが常識ではないでしょうか。桓武天皇の長岡京の例を引き合いに出してみます。

 「長岡京は今の京都の西南、乙訓郡向日町の辺りに、延暦3年6月、造営の工事が藤原種継を造営大夫としてはじめられ、11月には天皇は新都にうつっている。」(「都市の思想」西川幸治著、NHKブックス)

 わずか5ヶ月ではあまり造都は進んでいないはずですが、やはり、何らかの造作があって初めて天皇は移動しています。つまり、京将棋で京を最初に並べるのは、京域を示す最低限の造作と解釈すれば、歴史的事実ともぴったり符合する訳です。そして京を並べた直後に玉を並べることにすれば、多分最初にふれた意見の人も納得してくれるのではないでしょうか。もっとも私自身は縁台将棋派なので駒の並べ方には無頓着であり、定型作法を人に押しつけるつもりは全くありませんので、念のため申し添えておきます。ただし、将来にもし京将棋のちゃんとしたタイトル戦が行われる場合は定型に従って並べる方が様式美があってその場にふさわしい感じがすると思います。(記載2003年9月23日)         
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