工工四(クンクンシー)
ムディー(糸巻き)
三絃ナンクル学
琉球は礼節を重んじる国であったといわれる。
首里城にある「守礼之門」は、島々からなる小国であった琉球が外国から使節を迎えたとき武器を持たない国としての態度を示すモニュメントであった。

よく譬えられる話として、ヤマトの武士は床の間に大小の刀を飾るが、琉球では三絃を飾るといわれる。
また、ウチナンチュが倒産した時、先ず不動産を処分し、次に墓を処分し、最後に家宝の三絃を売るという。

三絃は元々、士族を中心とした「嗜み文化」であったが、やがて若い民百姓が過酷な労働を癒した「歌垣」「毛遊び」の中で発展し、「嘉手苅林昌」や「登川誠仁」を生み、沖縄において三線は単なる楽器以上の意味を持つものとなったといわれる。
これがヤマトにおける三味線や津軽三味線が持つイメージとの違いではないでしょうか。

現在ウチナンチュの3軒に1軒が三絃を持っているとされ、離島ではもっと多いといわれ、1軒で複数所有する人もあるので沖縄45万世帯で30万丁ともいわれている。
サンシン
糸掛
ウマ
棹(ソー)
乳袋
歌口(うたぐち)
女弦(ミージル)
中弦(ナカジル)
男弦(ウージル)
胴(どう)
手皮(ティーガー)
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