被災地派遣


初日メンバー

医師ベストの授与、頑張ります。

市街地

さとうのご飯とカレー、中華スープ缶です。朝から、がっつり行きます。

3年保存可能の災害ソバとカレーさば缶。美味い。感謝。

スケジュール。結構、ハード。

体育館:学習スペース、周囲は、住居スペース。

図書館で診察中

日和山から北上川、黙祷。

市民病院付近

朝六時現地に向かいます。ミーティング中。

災害派遣車多し、渋滞。

手作り診察時間票、イラスト中條画。

最終チーム

小型ジェット50人乗りです。伊丹⇔仙台、臨時便のみ。

最後の災害派遣チーム(第33陣)
小野市加東市医師会 嬉野診療所 所長 中條武彦

災害派遣の縮小 我々の医師派遣チームを最後に、医師1名のみになりました。薬剤師は、今回で最後です。また、岐阜大学:心のケアチームも最後となりました。そして、看護師チームも縮小です。診療を再開された医療機関も多くなっており、地元医師への移行目的(自立支援の一環)として災害派遣チームの縮小となりました。我々にとって、患者様を適切かつ速やかに、医療機関に紹介する事が、重要となっていました。紹介先リストを見ながら患者様のご事情とよく相談する日々でした。
ハードライフ(遅寝、早起き)
大震災から、早2ヶ月半経ちましたが、先日M5の余震、地盤沈下だけでなく今回の梅雨入り、台風で、洪水、土砂崩れで北上川の堤防復旧作業、都市復旧作業は大変です。その宮城県石巻市で医療ボランテイアです。
朝は早く渋滞の為、毎朝6時に郊外のホテルから出発します。つまり、朝5時に起きます。そして、移動中に、ミーティングです。被災エリアは、14に分けられており、兵庫県医師会はエリア4を担当します。拠点の石巻中学校にて各活動チームらと朝8時30分からミーティングを行います。前日の日本赤十字病院での全体ミーティングでの報告と本日の活動予定等を話し合います。当時の避難者数は以下( )内です。石巻中学校(144)、住吉中学校(135)、山下小学校(31)、中央公民館(103)、山下中学校(94)、石巻図書館(36)。同じエリア4では新潟県病院チームが、門脇中学校、住吉小学校、私立女子高を担当されています。石巻中学校では、9時から、17時まで診療します。昼休みも、報告等のミーティングを行います。住吉中学校も9時から17時です。山下小学校、中央公民館、山下中学校、石巻図書館は、巡回(訪問診療)をします。18時からは、日本赤十字病院で全体ミーティングです。“避難者が一日で500人増えた”、“集団下痢発生の為、感染症チームを飛ばします”、“咳の多いエリアにはマスク配布をお願いします”、“心のケアの相談窓口で自殺の予防をする”、“ある小学校の避難所閉鎖時の話し合いで、被災者に囲まれ行政への苦情で恐い思いをした”、“SSBの設立(一時的に入院を要する程では無いが、インフルエンザや感染性胃腸炎にて隔離し経過観察可能なショートステイベースを設立した)”、“通院用の交通手段(市バスは、無理らしく、民間バスや乗り合いタクシーで対応)”などの報告や対応です。帰路では、必ず反省会を行い、宿泊ホテルには、だいたい21時頃到着です。資料の整理、お風呂などであっという間に翌日0時を越します。
生徒と避難者 食事:レトルト、缶詰、パン、インスタントラーメン、お湯を注ぐアルファ米などは、十分にあります。私は朝から、中華粥パック、缶詰、災害そば、白湯スープなどしっかり食べました。学校給食は、給食センターが再開しておらず、市は業者から牛乳とパンを買って給食にしています。教師の方とお話しましたが、支援物資を給食に配給することは行政上出来ずとのこと。成長期の生徒にパンと牛乳だけは、不憫だと言われました。全く同感です。いち早い優先的復興が望まれます。また、避難所や周辺の方は、配給があり暖かい食事が、頂けます。一例(自衛隊の炊き出し;ハンバーグのアスパラ添え、じゃがバター、大根味噌汁、炊き立てご飯は、美味しそうでした。手際もいい。)環境:避難者は、ダンボールで仕切られたスペースの体育館や教室で生活をしています。学習スペースもありました。そして、救援物資は多くあり、飲食物だけでなくテレビや無料電話、雑誌など用意され、顔そりボランテイアも来られていました。シャワーあり、入浴は場所により可能です。また、避難者の中にはペットを連れている方もあり、喘息やアトピーの方との共生は難しいようでした。当然避難所自体、生徒の体育館であり、バレーボールを校庭で競技しているのを見かけました。
黙祷(もくとう)日和山から北上川を見ました。黙祷もしました。出来ることを、やると再認識できました。この様な、貴重な経験をさせて頂いた医師会と支えて下さった皆様方に感謝いたします。