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2001年9月27日 「月のしずく」



 生まれる不安に満ちた母の胎内で、私が初めて味わった光は、中秋の果樹園から運ばれた梨の実のひとしずくだった。そして11月はじめの夜に、私はこの世に生を受けた。
 私を身ごもった母は妊娠悪阻という病いに陥り、水を飲んでも吐く状態だった。「そんな状態で出産しても無事に子供は産まれないだろう」と医者に告げられ、出産の断念を促された。だけど郷里の母親や妹たちに生むことを説得され、母は出産を決意した。戦時中に、たくさんの死を見てきた彼女たちは、どんな命も葬りたくなくて、自分たちの手で守ろうとしたのだろう。
 大阪から岡山の実家に戻り、家族に見守られ、母は床に伏せたまま春と夏を過ごした。水を飲んでも吐く状態の母は、ブドウ糖の点滴で命をつないだ。残暑が過ぎた秋の日、母は、母親から梨の絞り汁を与えられた。その梨のしずくが美味しくて、吐かずに胃の底まで飲み込むことができた。数日後には梨の実をかじり、少しずつ他の食べ物も吐かずに食べることができるようになった。そして母は、臨月に無事出産した。
 生まれた赤ん坊は未熟児だったので、生後1ヶ月後に肺炎になって死にかけた。その時も医者はサジを投げたが、母の母親と妹たちは諦めず献身的な看病をしてくれたらしい。おかげで、私はまた命拾いをした。
 そこまでして生まれてきたけど、思春期には「何のために人は生きているのか?」という自問に悩まされた。母は「一期一会」と言いながら、茶と和菓子を娘に差し出したものだ。何のために生きているのか?今も解らないが、生きてみれば思いのほか人生は短くて、はかなさゆえに今生は名残り惜しいものだ。
 草の根枯れる猛暑と厳冬の束の間の川原に、清々しく咲く秋草の美しさ。もうじき十五夜だ。月見団子と、まあるく輝く満月みたいな梨を買いに出かけよう。

2001年9月某日 うらたじゅん




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