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2001年8月5日 「8月のサンダル」



 一度も履かずに捨てたサンダルがある。ハタチを少し過ぎた夏、父の郷里の田舎町から届けられたサンダルだった。何を思ってか父の妹が突然、送ってきたのだった。赤貧生活をする彼女には、サンダル一足分の金は大出費だったはず。しかし安売りしていたので「自分のサンダルを買ったついでに純子ちゃんの分も買った」ということだった。

 届けられたサンダルは、田舎の小さな商店街で売っていそうな、流行遅れの野暮ったいピンク色のサンダルだった。せっかくだけど、このサンダルを履いて外を歩くのは恥ずかしいなあ…、困ったなあ…と思いながら足を通したら、サイズが合わなかった。内心ほっとした。履かずに済む。そのまま箱に入れ、物置きにしまい込んだ。

 小さな物置の中は、すぐに物が溢れごった返す。夏が来る度にピンクのサンダルを眺め思案したが、邪魔になるので数年後ついに処分した。そのサンダルは標準サイズだったが、わたしの足は標準より小さい。わたしの足のサイズも聞かずに彼女がピンクのサンダルを買ってしまったのは、何かの成り行きだったかもしれない。

 「わたしが若ければ、こんな可愛い服を着てみたい。こんな可愛いサンダルを履いて歩いてみたい」と思いながらふと何かを手に取る衝動は、女性には珍しいことではない。買うつもりもなく、ただ目で楽しんでいたところ「娘さんのためにお選びですか?」と店員に声をかけられた。「いえ、見てるだけです」と言いそびれ「いえ、姪っ子に…」と返答してしまい、つい彼女はピンクのサンダルを買ってしまったような気がする。

 しかし薄情な姪っ子は、彼女からの贈り物を1度も履かずに捨てた。サイズが合わなかったから。というより、何となく重たいものを委ねられたように感じられ、見詰めたくなかったのかもしれない。

 彼女がうら若き娘であった年頃は、戦中戦後だった。オシャレをできる時代ではなかった上、彼女は婚約者を戦争で失った。それきり彼女は、どんな縁談も拒んだ。オシャレをしてデイトするなんて、彼女には無縁のことだった。嫁にも行かず、恋もせず、生家でひっそり独りで生きていた。世捨て人のように世間とあまり交わらず、庭に畑を作り自給自足に近い暮らしをしていた。

 4年前の8月のはじめに彼女は他界した。独居老人だった彼女は、突然縁側に倒れて、そのまま息を引き取った。誰にも看取られず、亡くなってから1週間後に近所の人に発見された。死後1週間後に、真夏の縁側で発見された彼女の遺体は、腐乱していたらしい。事後処理のため、数十年ぶりに父の郷里と生家を訪ねた。数十年ぶりに見る父の生家は、廃屋のような荒れようだった。ところどころ修繕されてはいたが、修繕が追いつかぬほど家は老朽化し、今にも崩れそうだった。

 しかし縁側につづく庭には、よく育った野菜畑と花壇があった。倒れる直前まで、庭の手入れをしていた様子が伺えた。何の彩りもない孤独な人生だったが、美しい花々に囲まれることを、ささやかな楽しみにしていたのだろうか。8月の真夏の庭には、色とりどりの無言のサンダルが咲き乱れ、揺れていた。

 

2001年8月某日 うらたじゅん




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