マジェラン・ミッション



打ち上げ時期 1989年5月4日
軌道上の重量 1035.00kg


1970年代に開発されたレーダー・マッピングにより撮影の分解能が向上し、金星の地表の詳細が更に明らかになったが、更に解明すべき点が多々存在したことも事実であった。

1978年10月、NASAは今迄の金星探査を補完するために、金星の総合的な探査を目的とするVOIR(金星周回撮像レーダー探査機)計画を開始した。VOIRとはVenus Orbiting Imaging Radarの略語である。探査機の名前を16世紀に人類史上初の世界一周航海に成功したポルトガルの航海家、フェルディナンド・マジェラに因んだことからも、NASAの意気込みがわかろうというものだ。

しかし、ミッションの総経費が8億ドルを超えることや、1981年のレーガン政権の予算大削減政策により、VOIRプロジェクトは中止に追い込まれた。この時点で浮上したのが、VRM(金星レーダー・マッパー)で、金星の精密な地形図の作成にその目的を集約した計画であった。マジェランはコストを低く押さえるために、パイオニア、 マリナー、バイキング、ボイジャーなど既存のミッションの余った部品を集めて作られた。そして1988年5月にスペースシャトルで打ち上げられることになった。

しかし、悪いことは重なるもので、1986年のスペースシャトル・チャレンジャーによる爆発事故でスペースシャトルの打ち上げから、強力なセントールG型プライムロケットに変更されたが、ロケットによる打ち上げの危険性が指摘され、1989年に延期されることになった。

1990年5月4日、ご難続きのマジェランはスペースシャトル・アトランティスに搭載されて漸く出発した。1990年8月10日、マジェランは金星の軌道に乗った。マジェラン・ミッションでは、交信とマッピングの2つの機能を兼ねる大きさが3.5mのディッシュ型高利得アンテナが主役の座を占める。



このアンテナの上には低利得アンテナが取り付けられている。高利得アンテナの背後には長方形の構造部分があり、レーダー・センサー電子機器、 リアクション・ ホイールやバッテリーが収納されている。そしてこの後ろに 10面体のバス(探査機の主要部分)があり、更にその後ろに推進装置が取り付けられている。この結果マジェランは全長3.7mの構造体になる。バスには、5.8mの太陽電池パネルが2基装着され、 スター・トラッカー、中利得アンテナ、 コンピュータ、テープレコーダーが収納されている。

太陽電池パネルは探査機の電力供給やニッケル・カドミウムのバッテリーの充電に使われる。 バッテリーは28ボルトの出力を持ち、太陽が隠れた時に探査機が正常に作動するよう電力を供給する。 交信はX帯とS帯共用の無線装置により行われる。金星は常に熱い雲に覆われているため、マジェラン・ミッションでは合成開口レーダー(SAR)というレーダーによるマッピング技術が用いられた。 このレーダー観測により、金星の地表はほぼ100m〜300mの分解能で隈なく探査され、 観測の精度は旧ソ連のベネーラ・ミッション( 1961〜1983)を10倍も上回った。1992年9月14日にマッピングが終了した時点では、金星の地表の99%以上が探査さた。 合成開口レーダーによる探査と同時に、高度測定法や放射測定法も用いられ、金星地表の形状や物理特性についても貴重な情報が得られた。

マジェラン・ミッションでは、 探査機の高精度無線追跡技術により、金星内部の質量分布や地形を形成した力を解明するために磁場の測定が行われた。 また、 空気制動を使った周回観測により、 金星の重力の測定値が改良された。 マジェラン・ミッションにより、 太陽系で地球と双子の惑星とされていた金星について革命的な情報がもたらされた。 特に、 金星の極端な温室効果による環境破壊は、それが進んだ場合の地球の姿を暗示したものであった。

1990年8月10、金星に到達したマジェランは、 近金点294km、遠金点8500kmとして、極近くの北緯9.5度を北から南に向かって周回する楕円軌道に入った。 この場合、左向きのレーダーは東を指し、右向きのレーダーは西を指していた。 マジェランのレーダー・マッピングは、243日(金星の自転周期)を1区切りとする8段階の探査から成っていた。

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マジェランのレーダー観測で得られた金星の合成画像

第1段階(レーダーは左向き): 1990年9月15日〜1991年5月15日。金星の地表の 約 83.7%が観測された。観測地域は北極から南緯約75度まで。

第2段階(レーダーは右向き):1991年5月15日〜1992年1月15日。第1段階の補完と南極の極地域(北緯75度から南極地域まで)のマッピングが行われ、該当地域の54.5%が観測された。 第1と第2段階で金星の96%のマッピングが完了した。

第3段階(レーダーは左向き): 1992年1月24日〜9月15日。 この段階では主に第1 段階で得られた画像との立体画像を作成するための地形のレーダー・マッピングが行われた。観測地域は、北緯75度から南緯45度まで。 該当地域の約21.3%のマッピングが行われ、これまでのマッピングと合わせて合計金星地表の98%が観測された。

第4段階: 1992年9月14日〜1993年5月23日。楕円軌道からの重力のデータ収集に充てられた。 この段階では、アンテナの指向は金星から外れるため、マッピングは行われなかった。

大気制動周回による金星の重力場の観測段階: 1993年5月24日〜8月2日。楕円軌道では重力測定の分解能が急速に低下したため、金星全体の重力の一定した高分解能観測を 可能にするために、マジェランは空気制動を利用して円形軌道に移行する必要が生じた。金星の大気の中を降下した。空気制動による周回の終了時点においては、マジェランは地表から近金点180km、遠金点540kmの円軌道を描き、94分で金星を周回した。

第5段階: 1993年8月3日〜1994年8月29日。第4段階の円軌道で、金星の重力の高感度測定を行い、金星の約95%に関する重力のデータが得られた。 この観測では、マジェランを精密に無線追跡することにより、金星の磁場の測定が行われ、金星内部の質量の分布と表面の地形を形成した力が明らかになった。その結果、太陽系の中では、金星は地質的に地球に最も似た惑星であることが確認された。

第6段階: 1994年9月〜10月11日。金星の大気の中でウインドミル(風車)実験に入った。 この段階では、太陽電池パネルは大気の抵抗で探査機にトルクがかかるような角度に傾けられ、マジェランがその軸による回転をしないで済むにはどのくらいのトルクが必要か実験が行われた。この実験で金星の上層大気の様々な高度における大気の密度が測定された。このデータは、未来の金星ミッションの設計に役立つはずである。

最終段階(金星大気への突入): 1994年10月11日、マジェランは金星大気への降下を開始した。 10月12日、交信が途絶えた。 おそらく10月13日か14日には、 大気の中で燃え尽きたものと思われる。 マジェラン・ミッションでは最終的に、金星の地表のマッピングは99%以上に及び、旧ソ連のベネーラ15号と16号を10倍もすぐれた分解能の画像が得られた。

以下が、マジェラン・ミッションで得られた貴重な発見である。
  1. 火星は地球とほぼ同じ大きさであるが、プレート・テクトニクスのような活動は見られないこと。
  2. 少なくとも地表の85%は溶岩で覆われてお入り、残りの部分には非常に変形した山脈帯が存在すること。
  3. 地表の温度は摂氏475度、気圧は92バールであること。
  4. 水が無いので、地表の浸食は進行が非常に遅く風による風紋が見られること。
  5. 地表の80%以上が金星の基準面(高度6051.84km)から1km以下であること。
  6. 地表の平均年齢は5億年であること。
  7. 金星の重力場は表面の地形との関連性が高く、地形形成のメカニズムは地球とは異なり、 金星内部の深く起こる地質課程により影響を受けているのかもしれないこと。
しかし、金星の全地表が5億年前の一連の地質的な激変によるものなのか、あるいは徐々に進行して今日に至っているのかどうかは、依然として未解決である。マジェラン・ミッションの総費用は、5億890万ドルであった。