【特集】

首脳会談後の南北関係


 南北の両首脳が歴史的な会談を行い、和解と統一への時代を切り開いた「6・15共同宣言」に署名してから100日が過ぎました。朝鮮民族の風習では、子どもが生まれて100日目を迎えるとささやかなお祝いをします。乳幼児の死亡率が高かった時代には、生後の100日間を無事に過ごしたことが、乳飲み子の生命力と今後の成長を約束する目安となったのでしょう。
 南北と海外に住む7千万朝鮮民族にとって、「6.15共・同宣言」は待ちわびた新生児であり、祖国統一への希望に満ちた道しるべと言えます。その誕生を喜ばない勢力もいて決して恵まれた環境ではなかったものの、新生児はこの間、大病を患うことも無く順調に育っています。
 本稿では、首脳会談後の南北関係がどのような進展を遂げているのか、そして「6・15共同宣言」の速やかな履行に向けた私たちの課題は何かを、検討してみます。

1.南北当局会談の進展と交流・往来の活性化


 「6・15共同宣言」は5つの項目からなっています。1・2項は祖国統一の原則と方法に関する合意であり、3〜5項では離散家族の相互訪問など人道問題の解決や、民族経済の均衡的な発展を目標とする経済協力の実現と、それらを協議する当局間対話の速やかな開催が約束されています。
 この100日間に南北当局間の会談は諸分野で活発に行なわれ、今も続いています。たとえば、1.赤十字会談(6月29〜30日、9月21〜23日)、2.閣僚級会談(7月29〜31日、8月29〜31日、9月27〜30日)、3.次官級の経済会談(9月25〜26日)、4.国防長官級の軍事会談(9月25〜26日)、5.特使会談(9月12〜14日)。
 これらの会談での合意により、8月15日〜18日には南北双方から100名ずつの離散家族がソウルとピョンヤンを訪問して家族との再会をはたし、9月2日には63名の非転向長期囚が北へ帰還しています。そして9月18日、38度線によって切断されていたソウル〜新義州間の鉄道復元工事が南で始まりました。南北当局間の会談は、これまでにない安定した基盤の上で展開されていると言えるでしょう。
 55年に及んだ分断の歳月には見られなかった大きな変化と意義ある進展が、この100日間で起きています。それは、南北の両政府が「6・15共同宣言を一枚の紙切れに終わらせてはならない」との不退転の姿勢で臨んでいるからです。
 また、これまでのように対話→合意→決裂という過程を再び繰り返すなら、7千万民族全体にはかり知れない失望と挫折をもたらすであろうとの危機感も、その背景にあるでしょう。
 7月31日、第1回目の閣僚級会談で発表された「共同報道文」には、南北当局のこうした並々ならぬ決意が込められています。
 「…南北閣僚級会談は、不信と論争にあけくれた過去の惰性から脱却し、信義と協力に基づき実現可能な問題から解決する対話を心がける。…また、民族の前に実質的な成果をもたらすために実践を重視し、平和と統一を志向する対話を心がける。」
 南北当局間には、立場や見解の相違も決して小さくありませんが、このような前向きの姿勢が堅持される限り、相互の理解を図りながら対話と交渉はこれからも順調に展開されるでしょう。
 南・北・海外に住む7千万の朝鮮民族は6月の首脳会談に感激し、8月15日の離散家族の再会に涙しました。そして9月15日、シドニーオリンピックの開会式で南北の選手団が統一旗をともに掲げ、同じユニフォームでアリランの演奏にあわせて同時入場行進した姿に、言いしれぬ感動を覚えました。
 9月15日の感動を、『ハンギョレ新聞』は次のように伝えています。
 「共に行進した南北の選手たち…。その時間は決して長くはなかった。しかし、誰も彼らのように熱く手をとりあいはしなかった。誰も彼らのように力強い歩みを見せはしなかった。7千万民族は再び感激に体を震わせ、世界は一つになったコリアを祝して最大の激励を惜しまなかった。…我が民族に希望を与え世界には感動を与えた、オリンピック史上で最高のドラマだった。」
 今後の南北関係の進展を予測する上で重要な意味を持つのが、9月12日〜14日にかけて行なわれた金容淳・朝鮮労働党書記のソウル訪問です。金容淳書記と林東源・国家情報院長は、6月の南北首脳会談を準備した事実上の南北実務責任者と言えます。金容淳書記は金正日国防委員長の特使として南を訪問し、林東源氏との特使会談や金大中大統領との面談を行ないました。9月14日に発表された共同報道文は、金永南・最高人民会議常任委員長の年内訪韓、金正日国防委員長が近いうちに(来春をメドに)ソウルを訪問、10月中に北が経済視察団を派遣することなど、7項目からなっています。
 今回、金容淳書記を通じて南北の両首脳は口頭でメッセージを交換しましたが、9月15日付『東亜日報』に紹介された二人のメッセージは、6・15共同宣言の実践に向けた両首脳の決意と心情がよく表われています。
 「大統領に心からのあいさつを送ります。ピョンヤンに来られた際、虚礼や虚式を好まないとおっしゃいましたが、共同宣言は大統領のそのような姿勢が反映されたものです。いまや共同宣言は確固たるものになりつつあります。立派な内容であるだけに過去のような後退があってはならず、確実に実践し履行されなければなりません。私はこれからも、そのような強い決意で臨むつもりです。」(金正日)
 「中秋節にちなんで貴重な贈り物(マツタケ)をいただき、心からの御礼を伝えます。ピョンヤンでもお話しましたが、人生は永遠のものではありません。民族の運命を左右するこの重大な時期に、私たち二人が決定的な地位にあるのもまた、意味深いことです。私たちは民族の統一を願いつつも、これを早急に推し進めてはならず、その基盤を確固たるものにすることが重要です。私は任期を終えるまでこのことに努めるつもりであり、後任者がさらにそれを進展させることでしょう。」(金大中)
2.首脳会談がもたらした変化

 半世紀を越える分断の歳月は、相互に根強い不信と対立をもたらしました。南北の当局はそれぞれ相手側の体制と制度を否定し、自らの優位を宣伝するために内部構成員への意識化と宣伝教育を体系的に行なってきたのです。しかし、6月の首脳会談を契機にして、南北は和解と協力への関係へと踏み出しました。体制間の優劣を競う「相争」の関係から、互いの制度や価値観を容認し尊重する「相生」の関係を模索し始めたのです。その結果、特に南においては、北に対する偏見や先入観を克服し、南北の和解と統一を志向するものへと市民の意識は大きく変化しつつあります。
 8月15日〜18日に行なわれた離散家族の相互訪問において、そうした変化が顕著でした。実は、離散家族の再会は今回が2度目です。
 1985年の9月に第1回目が行なわれましたが、当時は南北が厳しく対立し熾烈な体制競争をくりひろげていたために、数十年ぶりで出会った家族の対話も対立を反映したとげとげしいものでした。
 たとえば、南側離散家族の一員としてピョンヤンを訪問した池学淳・司教は、再会した妹にくり返し信仰の話をしたところ、妹は「天国を信じるなんて!」と拒絶反応を示したといいます。兄の司教は驚き、「お前はすっかりアカの連中に洗脳されてしまった!」と嘆いたそうです。離散家族の再会を取材したマスコミの報道も、相手の体制批判に終始したものでした。
 「閉ざされた心とかたくなな態度に、甚だしい異質感を覚えた」(韓国日報)、「南の当局は反共対決と分裂策動をくり返している」(労働新聞)といったトーンだったのです。
 南北が敵対している状況での再会は決して好ましい結果を残さず、かえって相互不信と分断の傷を深めることになりました。
 あれから15年をへた今回、南北は相互の体制を認め、心を開いて相手の価値観や生活様式を理解しようとする姿勢を持ち始めました。それ故に今回の再会は、離散の悲しみと分断の苦痛をしばしながら癒す機会となり、その成果をさらに拡大していく良いスタートだったと言えるでしょう。
8月17日、ピョンヤン高麗ホテルの一室で50年ぶりに父と子どもが再会しました。南からきた老父は壮年になった2人の息子を前にして、「父なし子をこんなに立派に育ててくれたのは金日成主席だ。主席万歳を叫びたい心情だ。私は南に戻って私なりに祖国に忠誠を尽くす。お前たちはこの北の地で祖国に忠誠を尽くしなさい」と語ったそうです。
また、ソウルのホテルでは50年ぶりに会う北の息子に対し、南の母親が「一人でずいぶん苦労しただろうに」とねぎらいの言葉をかけると、息子は「いいえ、これといった苦労もしませんでした。私は金日成大学を卒業し、金正日同志の配慮でよい職場につくことができました。子供たちも皆、大学教育を受けました」と答えました。すると側にいた南の弟は「兄さん、それはよかった。万々歳だよ」と叫んだそうです。
 15年前ならとうてい考えられない光景です。しかし、この場面をテレビの実況中継で見ていた南の多くの市民たちは、これといって違和感を覚えることもなく、「もっとも感動したセリフ」(映画「ナヌムの家」ピョン・ヨンジュ監督)との反応すらあったのです。そして、北からの離散家族を迎えたホテルの従業員たちも、率直な印象を伝えています。「客室の冷蔵庫に備えられていた飲食物はすべて無料で提供されているのに、北の人たちは必要なものだけを少し食べるだけだった。浪費をせずに、質素と倹約を心がける生活態度が印象的だった。」(8月19日付『ハンギョレ新聞』)。
 7千万同胞と世界の人々が注目した今回の離散家族相互訪問は、貴重な成果を残しました。私たちは今回、55年に及んだ分断の歳月に生じた南北の相違点と、にも拘らず保持されてきた民族的な共通点を同時に発見しました。そして共通点を基本にして相違点を理解し克服することが、決して不可能ではないことを体験したのです。
 今回の相互訪問に団長として参加した南北の責任者たちの言葉は、民族に新しい希望のメッセージを伝えるものでした。
 「北側は真心と誠意で南の訪問団を迎えてくれた。父母兄弟のように暖かく応対してくれたし、形式的な態度や敵対意識はみじんも感じられなかった」(張忠植・南側団長)
 「同胞愛で暖かく迎えてくれたソウル市民と各界の皆さんに、心から謝意を表したい」(柳美英・北側団長)
 まさに今回の離散家族の相互訪問は、「引き裂かれた家族が再会する人道の問題でもあるが、対立してきた民族が和解する意味もまたこめられている」(金大中大統領)と言えるでしょう。
 南北首脳会談を契機にした市民の対北認識における変化は、さまざまな世論調査に反映されています。たとえば全国20歳以上の男女1500名を対象にした調査で、北を「肯定的にとらえるようになった」人が70%を越え、「北はやはり敵だ」と答えた人はわずか2.7%にすぎませんでした。(『月刊中央』8月号)
 また、これまで反共・反北教育が中心だった学校教育も大きく変わろうとしています。来年度の小学2年生が用いる社会科の副教材に、南北の両首脳が両手を高く掲げている写真が掲載されることになりました。
 また、極右団体の代表とも言える『自由総連盟(かつての反共連盟)』が新たに作成した統一教育パンフレット(題名『ともに生きる社会』)は、進歩的な教員団体である『全教組』の幹部たちも執筆者として参加しています。内容も「朝鮮戦争で北はほとんどの建造物が破壊されて廃墟と化し、南北を合わせて数百万の犠牲者を出した。…南は個人の権利と自由を中心に、北は集団の利益と平等を中心にした価値観を持っている」といった、公正かつ客観的な記述になっています。
 そして、北に対する敵視ではなく、民族の和解と団結を強調するこうした流れを象徴するのが、シドニーオリンピックの代表選手たちに対する説明会でした。
9月1日、シドニーへの出発に先立ち、韓国選手団は副団長のキム・ボンソプ氏(大韓体育会事務総長)から詳細なオリエンテーションを受けていました。現地の気候や飲食物に関する注意事項などに続き、当日のメインは「北側選手との接触に関する心得」でした。
これまでの国際大会では、「できるだけ北の選手たちとは接触しないように」というのが心得の要点でした。しかし今回は、「北の選手を見かけたらこちらからあいさつをし、暖かく接するように」とか、「心をこめた贈り物をたくさんあげ、北の選手がくれるものをありがたく受け取るように」といった内容だったのです。結論は、「北の旗を振って応援することを除いて、北の選手たちにはできるだけのことをしてあげなさい」ということでした。
 このような劇的な変化があったからこそ、開会式の感動的な同時入道行進が可能だったのかも知れません。北の女子柔道選手ケー・スンヒは今回、惜しくも銅メダルに終わりましたが、彼女の健闘を北だけでなく南や海外の同胞たちがこぞって讃えています。彼女はもはや北だけの選手ではなく、"民族の誇り"であり、今回の銅メダルを彼女は「南と北の祖国にささげる」と言っているのです。
 南だけでなく、民族の和解と団結への変化は北でもより明確に強調されています。8月15日にピョンヤンで開催された『北南共同宣言を支持歓迎し、その実践のための政府・政党・団体連合大会』で採択された決議文の第3項は、「賢明で勤勉な我が人民が創造し発展させてきた優秀な技術、固有の伝統を北と南がともに分かちあい、さらに発展させるなら…」となっています。ここでいう"我が人民"とは、決して北の人民だけを指す用語ではありません。これまでのように北の体制と制度の優位を誇示する内容ではなく、南北の双方が異なる体制のもとで築きあげてきた成果を等しく貴重なものとして評価し、これを共有しさらに発展させていくことに民族の未来があるのだ、との志向がこめられているのです。

3.和解と協力への障害


 これまで述べてきたように、「6・15共同宣言」を契機にして朝鮮半島は不信と対決の時代から和解と協力の時代へ、分断の世紀から統一の世紀へ向かう歴史的な転換期に入りました。しかし、極右的な反共・反北勢力が一定の基盤を確保している韓国社会では、こうした流れを押しとどめ、逆流させようとする動きも顕著になっています。
 9月8日、金泳三・前大統領は自宅で記者会見を開き、「北の対南赤化路線は不変であるのに、金大中大統領は北に主導権を握られて譲歩を重ねている。このままでは韓国は赤化統一されるだろう」と現状況を"分析"し、「救国の一念から、民主主義を守る国民総決起大会と、北の指導者を告発する国民署名運動を展開する」との"決意"を表明したのです。
 これは、冷戦と分断の敵対的な思考から一歩も抜け出そうとしない、時代錯誤の極致です。このような人物がたとえ一時ではあれ、大統領として選出されたことは同じ韓国人として慙愧に耐えない所ですが、ハンナラ党の李会昌総裁や自民連の金鍾泌氏名誉総裁なども金泳三氏と同様の観点に立っています。
 7月22日、李・金の両氏は昼食をともにしながら、金大中大統領の"甘すぎる対北認識"を批判しています。李会昌氏が金大中大統領のピョンヤン訪問を「ヒトラーに屈した英国首相・チェンバレンのドイツ訪問」にたとえると、金鍾泌氏も「72年の7・4共同声明が、1年も経たぬうちに国民の期待を裏切ることになった」と回顧しながら、「北への幻想を持ってはならず、冷静に対処すべきだ」と相づちを打っています。
 明らかに、彼ら3名の極右政治家に代表される分断勢力は、現在の南北関係の画期的な進展、和解と協力への流れを心よく思っていません。こうした南における対立と葛藤は、冷戦と分断の象徴である国家保安法の改正・撤廃をめぐる抗争となって表われています。
 北を"反国家団体"と規定し、朝鮮半島の38度線以北に確固たる政治実体が存在することを認めようとしないこの悪法は、南北が相互の体制を尊重し和解と協力に向かう現在の流れとは根本的に相容れないものです。
 7月21日、232の市民・社会団体を網羅して「国家保安法の全面廃止を求める国民連帯」がソウルで結成されました。その結成文の一説には次のような指摘があります。
 「満面の笑みを浮かべ握りあった手を高く掲げる南北両首脳の姿は、もはや誰一人として、国家保安法によって処罰されてはならない時代に入ったことを代弁している。」
 国家保安法の改廃には国会の決議を経なければなりませんが、保守野党の中にも、国家保安法の改正を主張する若手議員が少なくありません。
 8月25日、市民団体である『経実連』の統一委員会が145名の与野国会議員を対象に調査したところ、96.2%(140名)が国家保安法の廃止もしくは改正に賛成したのです。
 こうした世論を受けて8月30日、金大中大統領も国家保安法を年内に全面改正するとの意向を表明しました。残念なことに、余命いくばくもないこの悪法による拘束者が後を絶ちません。南北の両首脳が6・15共同宣言に署名してからも、60名を越える青年・学生・労働者が国家保安法違反の容疑で拘束されています。現実を反映しない法律は「悪法」でしかありません。南北の和解と協力を阻む悪法は、一日も早く撤廃されるべきでしょう。
 半世紀以上にわたる朝鮮半島の分断体制が維持されてきたのは、2つの大きな支柱があったからです。国家保安法に代表される反統一的な法律制度がその一つであり、もう一つは駐韓米軍に象徴されるアメリカの不当な干渉と介入です。
 南北が不信と対決を解消し和解と協力への流れを作り出した今、国家保安法という支柱は根本から揺らぎ始めました。同時に、北の軍事的な脅威と南侵の抑止を口実にした米軍の駐屯も、徐々に説得力を失いつつあります。
 アメリカは今、南北関係の進展状況を前にして"北東アジアの平和と安定を可能にする均衡勢力"という新たな口実を設け、駐韓米軍の半永久的な駐屯を図っています。
 そして、金大中大統領もこうしたアメリカの意向をくんで、「統一後も駐韓米軍の存在は必要」との発言をくり返しています。しかし、「戦時の作戦指揮権」という軍事上の主権を掌握することで韓国政府に決定的な影響力を行使するアメリカの干渉を排除しない限り、6・15共同宣言にうたわれた「自主的な統一」が実現されないことは言うまでもありません。
 南北首脳会談と6・15共同宣言は、朝鮮半島をとりまく北東アジアの情勢を一変させる強大な波及力を持っています。アメリカや日本も、北との関係改善を外交上の主要課題として設定せざるを得なくなりました。しかし、アメリカや日本が追求する北との"関係正常化"は決して互恵平等なものではなく、北を政治・経済・軍事的に自らの統制下に置こうとする「非正常的な上下関係」です。それは米日の両国が、南と結んでいる関係を北にまで延長することを目標にしているからです。
 アメリカは朝鮮民主主義人民共和国を"テロ支援国"リストに載せ、引き続きさまざまな規制を加えています。"テロ国家"の指定を解除するためには、核兵器と長距離ミサイルの開発を永久に放棄せよと要求しており、これは休戦状況にある相手国に対して、一方的な武装解除を強要するのに等しいものです。
 昨年の秋に公表された「ペリー・プロセス」は、こうした条件を前提にした対北政策の報告書でした。しかし、これは北が決して受容することのできない条件です。
 日本もまた、北との国交交渉において過去の歴史清算をかたくなに拒否し、"植民地統治は合法的に行なわれた"との韓日条約の規準にしがみついています。日本もまた、歴史を歪曲しいくばくかの支援金で南を経済的に隷属させたやり方で、北との関係を"正常化"しようとしているのです。しかし、これもまた北としては決して容認することのできない条件です。
 その間、南は「米・日・韓の3国協調」というシステムに縛られ、対北政策を独自的に展開できませんでした。アメリカが掲げる"朝鮮半島の平和と統一"は、あくまでも自らが主導しアメリカの国益が貫徹される平和と統一であって、朝鮮民族の利益を考慮したものではないのです。「米・日・韓の3国協調」とは言うものの、3国の関係は対等ではなく、アメリカのイニシアティブが完璧に保障されたシステムに他なりません。
 「3国協調」システムの産物が『ペリー報告書』であるなら、それに対抗するものとして登場したのが「南北の民族協調」という新たなシステムであり、その最初の結実が『6・15共同宣言』です。言うまでもなく「南北協調」は、米・日ではなく朝鮮民族がイニシアティブを取り、南北が協力して主導する朝鮮半島の自主的な平和統一を志向するものです。
 今や私たちの最大の課題は、「韓米日の3国協調」を縮小させ、「南北の民族協調」を拡大していくなかで、6・15共同宣言の履行を推進することです。
 「南北協調」という新たなシステムを創り出すことによって金大中政権は、対北政策の独自的な空間を開拓することが可能になりました。これまでは、南北対話のチャンネルを持てなかったために、常にアメリカに依拠して南北関係の改善を模索しなければならなかったのです。
 いささか誇張されたきらいもありますが、アメリカ政府内の次のような"不満"の声は注目に値するものです。
 「米・日・韓の3国協調も以前ほどには機能しなくなった。南北首脳会談後には、3国が集まって協議(consult)するのではなく、韓国政府が'我々はこうするつもりだ'と通報(inform)する形態に変わってしまった」(月刊『新東亜』10月号、「岐路に立つ朝米関係」)。
 金大中政権は決してアメリカの統制から完全に自由ではありませんが、首脳会談後に随所で見られる"独自的な"スタンスは、朝鮮半島の統一情勢に新たな活力をもたらしています。
 たとえば、「北の経済回復のためにはIMF(国際通貨基金)など国際金融機関の支援が必要なのだが、そのためにはアメリカ議会が北を"テロ国家リスト"から解除しなければならない。金大中大統領は米議会の指導的な人士を招待して、解除するように説得するつもりである」との韓国政府関係者の発言(6月21日付『東亜日報』)は、その最たるものです。実際、5月7日のADB(アジア開発銀行)総会で南は北の加盟承認を建議しましたが、米・日は"テロ国家"との規定を理由に反対しています(北は8月28日、ADBへの加盟申請書を正式に提出)。
 また、国連のミレニアム・サミット参加のために訪米していた金大中大統領は9月9日、米財界の主要人士たちとの昼食会で、「北は優秀な労働力を持っており、朝鮮半島を中心とした北東アジアはかつてないほど安定した投資市場となっている。金正日国防委員長は北の改革だけでなく、外国資本の誘致にも積極的な意思を表明しており皆さんの多大な対北投資を勧誘したい」と述べています。
 そして日本政府と森首相に対しても、過去の歴史問題や、"拉致疑惑"問題にとらわれることなく、北との首脳会談で局面打開を図るように忠告しているのです。
 こうした事態は、あたかも金大中大統領が金正日国防委員長の"信頼すべき代理人"であるかのような印象を与えます。国際政治の舞台で、「南北の民族協調」システムが少しずつ機能し始めているとも言えるでしょう。

4.統一とは何か−非転向長期囚の帰還を見て−


 朝鮮半島における和解と協力への流れは、在日同胞社会にも多大な影響を与えています。これまで不信と対立を続けてきた民団と総連が歩み寄り、民族的な諸権利獲得に向け、手を取り合って対日本政府交渉を行なうことも夢ではなくなりました。そして9月22日には、分断史上で初めて総連同胞の組織的な故郷訪問が実現しています。
 南の市民たちの間で対北認識が好転している状況が、朝鮮総連や朝鮮学校などに対する再評価をもたらしているようです。
 朝鮮半島の統一は、ベトナムやドイツのように軍事的であれ経済的であれ、一方が他方を否定し制圧する方法では決して実現されません。相手の体制と価値を南北が容認し、平和共存と相互尊重を図ることが和解と協力への出発点なのです。
 祖国統一は南北の優劣を決める体制間の競争ではなく、相手の存在をあるがままに認め受け入れることから始まります。今、南と北と海外の7千万朝鮮民族は、「統一の練習期間」に入ったと言えるかもしれません。大小さまざまなレベルでの当局間・民間次元での協議や交流・往来を通じて、相互の違いを認識しつつも共通点に依拠して合意を導き出し、和解と協力によって"信頼という統一の石"を一つ一つ積み重ねていく過程にあるのでしょう。
9月2日、63名の非転向長期囚が板門店を経由して家族の待つ北の地に帰還しました。祖国統一のための活動により"北のスパイ"として投獄され、30年、40年という歳月を南の獄中で耐え抜いた方々…。朝鮮半島の分断線は決して38度線にだけあるのではなく、南の監獄もまた分断の熾烈な最前線でした。
"北に対する南の優位"を誇示するために南の歴代政権は、国家保安法の収監者に対し、想像を絶する残忍な方法を駆使して思想転向を強要しました。そして南の市民たちもまた、歴代政権の宣伝を受け入れ、"北のスパイは過去の罪を悔いて転向し、南の体制を支持する"のが当然だと思ってきたのです。
もし、この方たちが全員、当局の拷問や懐柔に屈し"転向"していたなら、南北が平和共存する連邦制統一は何の説得力も持たなかったでしょう。韓国政府の発表によっても、1961年に朴正煕が軍事クーデターで政権を奪取して以後、全斗煥・盧泰愚と続く1990年までの軍事政権の統治期間に、監獄で貴い生命をささげた統一運動家たちが200名を越えます。
非転向長期囚のすさまじい闘いにより、韓国の政権は彼らに転向を強要することは無意味であり、北を制圧することが不可能であると認めざるを得なくなりました。そして南の市民たちも、非転向長期囚の方々が決して"北のスパイ"ではなく、民族の分断を解消し南北が共存する自主的平和統一のために、自らの信念を守り生涯をささげた人たちであることを少しずつ理解するようになりました。
 非転向長期囚の孤独で凄惨な闘いが、気の遠くなるような歳月の空白を経て南の良心的な人々に受け入れられ、その釈放と北への送還を実現するための運動へと発展していく過程は、"たとえ一人でも北の体制を選択してはならない"との分断意識が、「北を受け入れ共に生きていくのだ」という和解と統一への意識に代替されていく過程でもありました。
しばしば、非転向長期囚の方々は「信念の化身」と言われ尊敬を受けます。しかし、この方々たちの犠牲と献身の意味は、一方の体制と価値を選択し固守したことよりも、強要された選択を断固として拒否し、選択の自由・信念と良心の自由という人間の尊厳を守り抜いたことにあるのだと思われます。それ故に、この方々たちは「信念の化身」であると同時に、「和解と統一の象徴」なのです。
45年間という最長期間を獄中で闘われたキム・ソンミョン先生は、『0.75坪、地上でもっとも小さい私の部屋』という共同手記の中で、「あの苦痛に満ちた長期間の歳月を耐え抜いた力の源は何だったのだろう。"私の生涯をささげて分断された祖国を統一するのだ"という夢、その夢がなかったなら、あの永い歳月の孤立感と孤独感に打ち勝つことはできなかっただろう」と述べています。
1975年〜1988年、24才〜37才にかけての青春の一時期を、私はこの方々と共に南の獄中で過ごしました。学生出身のさして信念の強固でなかった私は、不安と懐疑と動揺の日々を過ごしていました。そうした私が13年間の獄中生活を何とか無事に終え、今も統一運動にかかわっているのは、この方々の存在を知りその生活に間近で触れることができたからです。
キム・ソンミョン先生がおっしゃったあの"夢"の一端に私が触れることができ、分断された祖国を持つ海外同胞の2世として生まれた私が、手探りで行なった学生運動・統一運動も決して無意味ではなかったことを、祖国の獄中で体得することができたからにほかなりません。
 愛する妻と幼い子どもを残して敢然と38度線を越え、祖国統一への道を切り開いてこられた方々。今は年老い病にむしばまれた体ではあっても、南の市民たちの暖かい拍手に送られ、北の同胞たちの熱い抱擁で迎えられた方々。私のもっとも敬愛する非転向長期囚の先生方に、7千万民族の栄光があらんことを願ってやみません。そして、心からのねぎらいの言葉を送りたいと思います。(康宗憲)