*BOOK1*
最近読んでおもしろかった小説
『グランド・アヴェニュー』 ジョイ・フィールディング 吉田利子・訳 文春文庫
アメリカのミステリーの第一者、ジョイ・フィールディングの新作。シンシナテー郊外にある高級住宅街にあるグランド・アヴェニューと呼ばれる並木通りに家があり、夫はやり手の野心家で、ともに2歳前後の娘の母親だった4人の友情ものがたり。
「ねえ、クラブをつくりましょうよ」とひとりが言った。「で、定期的に集まるの。どう?」「いいわね、賛成」・・・23年後にはこのうちのふたりまでもが世を去り、しかもひとりは残虐にも殺害されることになろうとは、誰も予想できなかった。
子どもを持つ女性なら誰しも経験があることなのだが、子どもを遊ばせようと訪れた公園で出会った女性たち4人がしだいにかけがえのない友だちとして子どもや夫も巻き込みながら友情を育んでゆく。しかし、4人とも幸せな家庭を営んでいたはずなのにしだいに少しずつ綻んでいく様子が映画を観ているかのごとく見事に描かれている。さらに、それぞれの母と娘とのせつない関係も胸に迫るものがある。女性群像小説だから4人のうちの誰かに自分に似た性格、境遇の女性を見つけるにちがいない。ラストの裁判劇はミステリー小説としてスリリングな味付けも巧みで最後まで飽きさせない筆致。
主婦からの自立、DV、離婚、母親との葛藤、上司との不倫など興味深いテーマや社会問題も随所にちりばめられていて、特に中年女性にとって自分の生きてきた同時代小説として共感を覚えるに違いないお薦め本。元々文庫本で出版されているのでハンディーなこともあり電車読書に最適。でも、熱中しすぎて乗り過ごさないで!
02/9/4
『猛スピードで母は』 長嶋 有 文藝春秋
単行本は入荷しておらず、しかたなく芥川賞全文掲載の「文藝春秋」ですませることにした。それがかえってよかった。各選考委員の評が読めた。
慎の母、シングルマザーが格好いい。こういう女性が私の同世代で身近にもいる。慎の言葉でちゃんとそう書かれているのだが、「母は東京で結婚に失敗し」、故郷、北海道の小さな市に舞い戻り6年生になる慎と暮らしている。慎には必要最小限度のことは教えるがそれ以上干渉はしない。ある夜、母はつきあっている男とドライブに出かけ帰りが遅くなる。不安にかられた慎はもう泣き出してしまうが、ある時点でひょっとしたら母は自分を置き去りにのかもしれないとひらめいた。そう気づいたときから彼の涙はぴったりと止まった。それまでの暗く悲しい想像や考えはどこかにいってしまった。
母は戻ってきた。しばらくしてその男とある場所で慎は出くわしたが、彼は母にそのことを告げなかった。
シビックで出勤する母はワーゲンが好きだ。だからワーゲンに出会うといいことがありそうな気に慎もなる。
ワーゲンが数珠のように10台つづいていた。突然、母はアクセルを踏んでどんどん追い越し、今度は母のシビックがワーゲン10台を先導することになる!!母は満足そうにバックミラーを覗く。こんな鮮やかで爽快な印象を残してこの小説は終わる。映画のラストシーンみたい。とても気持ちがいい読後感。
母子家庭を描く作家には、わが同世代でいまは亡き干刈あがた、また津島佑子もそうだ。それは当事者でもある女性作家が母の立場から書かれている。ところが今回の『猛スピードで母は』の長嶋有はそういう母親に育てられていた20年前の男の子。その立場から書いている。
今朝の朝日の書評では斉藤美奈子さんがこの作品を酷評しているのが、気になった。どちらかというと彼女はフェミニズム批評の立場をとるひとで、それが実に痛快でことのほか『妊娠小説』はそれが見事の決まっていたものだ。ところが、この『猛スピードで母は』を評して彼女は、20年前のテーマであって、母子家庭をテーマにしたからといって何も新しくはないというが、それはちがう。その頃、著者は子どもだった。その子どもが長じてシングルマザーとの生活を子どもの立場から描けるようになった。それは日本の文学に次世代が育った証拠であり進歩ではなかろうか?
こういう尊厳と大胆な生き方がいまもっと若い女性に必要なのではなかろうかと思う。癒し、共依存、トラウマ・・・言葉をいっぱい知っていても何にもならない。生きてこそ、なのだ。母がしっかり生きていることを、慎は布団に中で、またお米をとぎながらわかっていた。だから、この小説が書けた。
選者評:
村上龍
「読者はサバイバルのための情報を必要としている。1人で子どもを産み、1人で子どもを育てている多くの女性が、この作品によって勇気を得るだろうとわたしは思う」
池澤夏樹
「毅然と生きる母に共感を覚える。次にそれを肯定しながら、一歩距離をおいて母を見て育つ息子にも共感する。この距離は母子がそれぞれ自立しているからこそ維持できるのであって、だから助け合うことはあっても互いに巻き込まれることはない」
石原慎太郎
「かなり手慣れたタッチで描かれた離婚家庭の母子の世界には、ある種のペーソスはあっても、実はごくありふれたものにしか感じられない。こんな程度の作品を読んで誰がどう心を動かされるというのだろうか」(注:慎太郎ってそういう男だということがこの評でよくわかる)
河野多恵子
「作者はこの作品で人間の誇りを描く意識は恐らく全くなかったと思われるが、全編から伝わってくる人間の誇りの瑞々しさに、このうえなく魅かれた。ほんの細部にも、それがある」
(02/3/20)
『満水子 上下』 高樹のぶ子 講談社 01年10月刊
最新刊『満水子』は、晩秋にぴったりな『蔦燃』、京都修学院や松ヶ崎を舞台にした『氷炎』などの路線を引き継ぐ恋愛小説。しかし、いままでの作品とは趣をことにしているところがある。それは男性が語り部となり男性の目を通して語らせていることである。男性の目を通して照射する女性とは?という実験的試み。
この小説が内容もさることながらさらに興味深いのは、私のように京都在住でしかも京都府下にもよく出かけ、地名もよくわかるものには、嵐山、園部町、日吉町が舞台となっているからでもある。それに函館に近い大沼公園あたり、と郡上八幡も重要な舞台である。かなり事前の取材が綿密であり、水に纏わる郷土史と河川地理の専門知識もすばらしい。
また男性がノンフィクッション作家で、女性は売れっ子の画家、この二人に関係する中年女性は画廊主で、その息子がカメラマンという職業も関心アリ。それぞれを実在の知人や有名人に当てはめてみたり、ある高樹のインタビュー記事からヒントを得たごく個人的に勘付いたことなど興味津々。
以前にも書いたことがあるが、高樹は恋愛小説が書きにくいといわれる現代において恋愛が成立する設定づくりが実に巧い。この上下2巻の大部も難なく読了。ぐいぐい引き込まれていく。因縁、情念の絡み合った性愛をテーマとしながらも、この潔い凛とした結末は何なのだろう。
高樹の描く女性は、中年男性を翻弄し、闇の部分と謎に引きずり込んでいく。そして、男性の恋が成就したかのかすかな感触とよろこびもつかの間、肝心の女性は至ってエゴイスティックに自己を生ききってしまう。それは自死(江藤淳の死以後、この表現が目立つ)であったり、決別であったり、ともかく男性の前から姿を消すこととなる。しかもしっかりと男性に自分の刻印を押して。ネタバレになるから、この新刊に関しては結末はあえて書かないが、かなりのもの。ここまで男性を翻弄できればあっぱれというほかない。
高樹の描く女性は決して男性を包み込むような女性ではない。そうだ、『突然炎のごとく』のカトリーヌみたいな女といっていいかもしれない。でももっと重い運命を背負っている女でもある。
映画のMLでJさんが先日のメールで
・・・・木下さんが「ズブ濡れつながり」とおっしゃってたのをすっかり失念してました。てなわけで、今日その『赤い橋の下のぬるい水』見てきました。筋金入りの甘ったれ(というかマザコン?羊水コン?(笑))ファロサントリスト、今村の面目躍如といった風情の寓話でしたねええ・・・」とおっしゃっている。確かに今村監督の欲するマザコン女性像とは対極にあるのが、高樹の描く女性。しかしながらどちらも男性がズルズルとはまっていく女性という点では「ズブ濡れ」同士ではある(笑い)。また、「清水美砂は絶妙の配役だったと思う。彼女ってじつになんか『や〜らし〜』というか、いかにもエッチな顔(笑)してませんか?こういう役にぴったり」と。
今村監督に乞われ妊娠中にもかかわらず熱演した清水のエロティシズムは明るく健康的。これとは対極にある満水子のエロティシズムは謎と負のエネルギーに満ちている。前者は男性が、後者は女性が創り出した性愛の極致。・・・・・・
この晩秋は「水」に纏わる映画と本を見たり。これは単なる偶然か?作家とテーマに惹かれて見たり読んだりしただけなのに、この偶然の不思議。シネマ@「赤い橋の下のぬるい水」「ザ・ブラザー」小説@「満水子」これら三作のせいで水の中に身体を放って見たくなった。 (2001年11月)
『A2Z』 山田詠美 講談社 00年1月刊 1400円
この本をバックに忍ばせている幸せを味わいながら仕事を済まし、やっと帰りの車中で堪能しながらやがて京都駅着。ああ、これを読書の快楽と言わずして何と言おうか?拙著でも取り上げ過ぎぐらい詠美ワールド&ワードをちりばめたものだ。例えば、「始まりは肉体、なりゆきは心」なんて最高のフレーズ。テーマは「正しい」恋愛。私の大切な友人も「山田詠美はいいですね〜え」といってくれるのでよけいにうれしくなる。ぞっこんの○印だ。
「いいよ、いいよ」の予感のするプロローグ。いわゆる「ダブル不倫」という言葉でともすれば語られがちな人間関係を35歳の編集者、夏美を主人公にして「既婚者の恋」を表現する本当の言葉探したかったという(毎日新聞夕刊・2月10日文化欄)。
拙著『女の言葉が男を変える』で紹介したフレーズ(山田詠美が92年にある女性雑誌のインタビューで述べていた)が、本書のある場面でちゃんと使われていた。ウ〜ン、私も捨てたモンじゃない!ちゃんと早く発見していんだ。「真剣じゃない恋愛は時間とからだの無駄ですから」という言葉。さ〜あ、どこに使われているでしょう?読んでみて!
「私は自分の作品のどのページを開いても気に入った格好のいい言葉がないと嫌なの」ともいう詠美ちゃんだが本書はそれを充分に満してくれて格好いい。ご本人も満足に違いない。
『イスタンブールの闇』 高樹のぶ子 中央公論社 98年2月刊 1300円
この春にイスタンブール再訪を果たした食いしん坊で旅行通の友人が持ち帰った鮮やかなトルコブルーと赤の彩色の大皿に魅せられたうえに、最近、その友人が 『イスタンブールの闇』を読みましたか?とたまたま手紙で言ってきた。ちょうど、私の属するメーリングリストではトルコ旅行で盛り上がっていたという偶然に嬉しくなって話喰いの私は書店に走り一気に読んでしまった!
「ここは津和野じゃないんだ。どこだかわかりますか?津和野から一番遠い、地の果て・・・イスタンブールのビューク島・・・そして、僕のベットルームです」16世紀に消えた赤いイズニク・タイルの謎を巡って古都イスタンブールと小京都・津和野を舞台に描かれる大人の恋!
高樹のぶ子はずっとデビュー当時から欠かさずに読み込んでいる作家だ。この作品は陶芸とイスタンブールに興味のあるものには堪えられないエンターメント性の高い大人の恋愛小説。女性作家の描く性愛描写は納得出来るし、何よりも主人公の女性が毅然としているので読後感は実に爽快である。渡辺淳一のあの作品とは雲泥の差。 元気な私が元気づけられたのだから、押してしるべし。
エリク、チャイ、水煙草、エスニックな香料、そして、青い海と空!うっとしい梅雨の京都から私もイスタンブールに逃げたい!
『ほんとうの私』 ミラン・クンデラ 集英社97年10月刊 1900円
クンデラは1929年チェコスロバキア生まれ。68年の「プラハの春」以後職を失い、すべての著作が発禁となる。75年にフランスに移住し、81年に市民権獲得。映画化もされた『存在の耐えられない軽さ』(84年)などでノーベル賞候補にも。
この小説はジャンル分けをすれば「恋愛小説」ということになるのだろうか?「私を私たらしめているものが、他者の存在の仕方一つで、と同時に、自身の想念一つで、たやすく揺らいでしまう。だからこそ、男にとって女が、女にとって男が、かけがえのない必然であるという、これは恋愛小説なのである」(島森路子毎日新聞評)
女の名はシャルタン。彼女が恋人を待ちながら海岸を散歩しているとき、「男たちはもうあたしを振り返ってくれない」と気づくその瞬間をきっかけにして幻想世界が展開されていく。原題は「ほんとうの私」ならぬ「アイデンティティ」。「ほんとうの私」など簡単に探し求められるものではない。だからこそ、男女の親密な関わり合いの中で生きていたいと私はいつも思っている。たとえそれが幻想だとしても・・・
ジャルダンは一度結婚して子どもを亡くし、夫とその一族に嫌気がさし離婚し、その後はある山のホテルで知り合った年下の男とずっと暮らしているパリの広告代理店に務めるキャリアウーマン。
更年期を迎えたシャルタンのからだの変調と不安定な精神状態を寄り添うようにリアルに描く男性作家、クンデラの描写には驚かされる。また、男女が微妙に食い違いを見せるときの描写がとてもデリケート。「他者と自分との境界線を見定めることを挑発されるような恐ろしい恋愛小説」(日本経済新聞評)
『妻への恋文』 アレクサンドル・ジャルダン 新潮文庫
信頼する男友達に教えられて読んだところだ。弱冠20歳で華々しくデビューしたフランスの新進気鋭の作家、アレクサンドル・ジャルダンのベストセラー。女性作家が選考するフェミナ賞を受賞し、またジャン・ポワレ監督の手で映画化もされた作品でもある。妻と出会った時の情熱が色あせていく愛の倦怠に耐えられなくなった結婚15年の夫(公証人)が、高校の数学教師の妻に愛の刺激の再燃を求めて匿名でラブレターを送り続けるという奇想天外な夫婦愛小説。
「この時23歳のジャルダンは結婚を前にしてすでに夫婦がいずれ見舞われるであろう愛情の危機といったものを察知して、小説という虚構の中でさまざまな角度からこの重苦しいテーマ」(訳者評)がこんなにもうまく書けるものかと感心してしまった。さらに巻頭の献辞「もちろん、エレーヌに。かの女が忘れずにセックスをしてくれるように」という一文にも思わずうなった。結婚生活を皮肉りながらも自分たちは永遠に愛し合う男女でありたいと願う若き作家の瑞々しい感性に感動した。
『いい男求む 美女35歳』
ガービー・ハウプトマン 永野秀和訳(文藝春秋)2190円
ただ今、ドイツで大ベストセラーになっている本である。そして、映画化も決まっているという超話題の小説でもある。どこかの国の話題の「何とか園」という大人の恋愛小説とは違って抱腹絶倒のロマンチィック・コメディー。<BR>
美女には美女の悩みがあって、周りの男どものエッチな下心に嫌気がさした主人公のカルメンは、「知的でインポである」ことを条件に新聞広告でボーイフレンドを募集することにした。
聡明な男性を求む
当方魅力的女性三十五歳仕事順調
すてきな時間を共有し諸計画を実
行する仲間を求む。ただし知的で
インポであること照会番号・・・
ところが、その反響は当人の予想をはるかに上回り、連日「こんなハンサムなのにインポなの?」というような素敵な男性とのデートが続くことになる。主人公と彼女の二人の女友達(一人は80歳、とびきりいい感じ!)との間で交わされる男の品定めが痛快で、大人の女が考える「いい男」とはどういうものかが極めて旨く描かれている。ドイツでミリオンセラーとはいえ、民度の低いニッポンではどうだろうか?日本でも誰か極めて冴えた筆で、しかもユーモアを込めてこんな小説を書いてくれる作家いないかなーあ。
『母の眠り』 アナ・クィンドレン 森洋子訳 新潮社 1998年11月 2300円
ある大学の文学部で「母娘関係」の講義をすることになり関連図書としてこの本も読んだ。11月15日からはメリル・ストリープ主演・映画化が公開される。
主人公のエレンはNYで雑誌記者として働くハーバード出の才媛。父親は英文学教授。母親は献身的に家族のために生きた専業主婦。母が癌になった。父親は当てにならず娘のエレンが故郷に戻り母に付き添うことになる。故郷のわが家でありながらそこは息苦しいほどに「母の家」だった。嫌でも母と向き合うことをしいられる介護の日々。尊敬していたはずの父親が逃げ腰になったいった。エレンは仕事を犠牲にして母を看る。そこで得たもの失ったものは何か?いよいよ最期の日が来た!
ミステリー仕立てモノローグから話しは始まる。私(エレン)は今、拘置所に収監されている。母殺しの疑いをかけられているのだ。家庭的な母を死に追いやったのは誰か?最後のどんでん返し。長編ながらテンポのいい筆致で面白い。
終末医療、尊厳死、家族の絆などのテーマを縦横に絡めながら血縁関係の情に流されないジャーナリスト、コラムニストとして健筆を揮う若手ピュリッツアー作家の鋭く冷静な目には感心する。親を看取ることは、故郷を離れ自立して暮らしてはいても家族の絆の脆さと大切さを考えることを避けては通れないのである。ジャーナリストらしい新境地の小説だ。