『KIMURAの読書ノート 2010』
*キムラのプロフィール
1970年生まれ。
気が付けば 夫と思春期真っ盛りの娘の3人家族。
広く浅く興味を持った物は何でも食らいつき、ストライクゾーンが広いと友人達には言われるが熱しやすく冷めやすいのが弱点。
専門は教育学であるが、自分の不器用さに教師になることをあっさり諦める。
しかし現在縁あって、本を媒体としながら学校内外で子ども達と関わったり
ボランティア団体の講師に招かれたり、ご年輩の方々に本を楽しんでもらえるような講座を提供したりと、日々奔走中。
でも、実は家にこもって本さえ読んでいれば幸せだったりする。
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2010年3月その2
『海猫ツリーハウス』(一般書)
木村友祐 著 集英社 2010年2月
2009年第33回すばる文学賞受賞作品。「ペンギン」のぬいぐるみを置いたそっけない表紙・・・ということだけは知っていた(今となっては「ペンギン」ではなく、「海猫のひな」か・・・とも思うのだが)。それ以上の興味をひくこともなく、私の中ではとりたて食指が伸びることもなく、すぐに私の記憶から消えていった。
しかし、なんとこの作品、以前住んでいた半径1〜2km以内が舞台であること。しかも、私が住んでいた目の前のとあるお店がこの著者のお兄さんだとか・・・などなど数々の個人情報と共に青森の友人から連絡が入ってきた。そんじゃぁ、読まんといがんべ。
んや〜、リアルに私が知っでる地名続出。それごそ、漁港の先端がら、田んぼのあぜ道まで。んや、道端に落ぢでいるゴミ一つまで目に浮がぶ。読み始めてすぐに私のご当地本に昇格。もうそれだげで、私にとっては十分な作品になっだ。
と思わず懐かしくて、南部弁で書いてみた。しかし、住んでいる当時でもなかなかヒアリングが難しく、実際これが正しい南部弁か定かでないので、通常モードに私の方は戻すが、まずこの作品の特徴は会話がこの南部弁で書かれているということである。青森の方言ですぐに思い出されるのが、日本語でありながらテレビに字幕スーバーが付くということであろう。しかし、あの方言の多くが「津軽弁」である。「津軽弁」は青森市、弘前市を中心とした青森県の西側の言葉である。この南部弁は青森県の東側から岩手県北部に住んでいる人たちの言葉である。これが面白いほど違う。但しどれだけ違うかということは、実は私もハッキリしていない。なぜなら、聞き取りにくいからだ。そういう意味においては「津軽弁」も「南部弁」も他の地域に住む人にとっては同じなのであるが、青森に「南部弁」があるということを世間に知らしめただけでも、画期的なことではないだろうか。ただ、実際この作品を読んでみると、「南部弁」にはふりがな(標準語)がついているのであるが、このふりがながついていなくても、十分に理解できてしまうのが、私としては少々残念である。実際は何度も書いているように、文字ではなく、発話として聞くとほぼ相手の言っていることは分からない。そのニュアンスが文字には限界があるというのを本書から知ることになってしまった。おそらく、著者もその辺りかなり苦労したのではないだろうか。
さて、物語の方であるが、県内の服飾専門学校を中退して、地元でツリーハウス作りのアルバイトをして過ごす亮介。地元を出て自活せねばと思いつつも、面倒を見てくれる親方になかなかそれを言い出せず、悶々とした日々を送る。そんな時、自称舞踏家の兄、慎平が大阪から戻ってくることで更に亮介は憂鬱な日々を過ごすことになる。と書くと、20歳前後の若者の心の動きが中心となって、物語が展開していくように思える。実際、話の太い部分はそうなのであるが、読み進めていくうちに、本当のこの物語のテーマは「家制度」ではないかと思えてきた。都会や地方でもそれなりに大きな都市だと、すでに「家制度」が崩壊しつつあり、長男、次男、長女などという縛りは、なりをひそめているように思える。しかし、実家が農家の亮介と慎平。悶々とする気持ちの先には、その「家」が大きく覆い被さっていることが行間からよどみなくあふれ出てくるのだ。それは亮介、慎平に限ったことではなく、この物語に出てくる人物のほとんどがそうであるように感じるのは私の深読みのしすぎであろうか。
都会で過ごしているとなかなかイメージしづらい「家制度」。それを今の若者の心境と重複させながら、物語に織り込んでいくこの作品。これは決して過去の物語ではなく、今起こっている日本の地方の現実であることも知って欲しいと思った。
2010年3月その1
『魔法使いクラブ』(一般書)
青山七恵 著 幻冬舎 2009年
たいくつだった。
1983年生まれ。2005年大学在学中に『窓の灯』で第42回文芸賞受賞。2007年代136回芥川賞受賞(『ひとり日和』)。そして2009年、短編『かけら』では史上最年少で川端康成文学賞受賞。という経歴でありながら、これまで手を出しそびれていたのだが、ついに初読み。それが本書『魔法使いクラブ』である。経歴が経歴なだけに、期待して読んだのが間違いだったのか。結仁(ゆに)、小学4年生の時から物語は始まる。
「青い車を見てしまった」から、今日は1日不幸だとそれを引きずったことを止めどなく書かれてあったり、「大きくなったら魔女になれますように」と短冊に書き、それをクラスメートに読まれ変人扱いの上、クラスからはみ出してしまうといった話が抑揚もなくたんたんと書き連ねてある。どうしてこれが、文芸書として面白いのだ?確かにこれらの状況から結仁が一歩一歩成長していく過程と息づかいを感じるのは確かだ。それだけなのだから、あえて、文芸書とするのではなく、児童書もしくはヤングアダルト系として出版された方が、逆に読者層の幅が広がり、丁度思春期の子ども達が共感してくれるのではないかと、読みながら憤っている私がいた。
第2章では結仁が中学生になっていた。よくある思春期女子特有のどろどろとした人間関係と恋愛関係を主軸に、その輪にはどっぷりつかることなくアウトサイダーとして日々を過ごす結仁の姿。もちろん、そこには、表題にもなっている「魔法使い」に絡めた話が伏線として流れている。しかし、私からすればやはりこの物語は一般的な児童書(ヤングアダルト系)にしか思えなかった。
そして、第3章。やられたと思った。そもそも、「たいくつだ」と思っていたのなら、読むのを途中で止めれば良かったのだ。しかし、「たいくつだ」と思いながら、読む手を休めることができない何かがこの物語には覆い被さっていたのだ。それに気付かされたのが第3章だった。
「家族の崩壊」。これがこの作品の本当のテーマではないだろうか。思春期女子の日常と心情を淡々と描きながら、壊れゆく家庭が実は第1章からこっそりと、しかし大胆に盛り込まれていたのだ。結仁の心情は思春期特有のものではなく、壊れゆく家庭を敏感に察知したため湧き出ていたものだったのだ。
上手すぎる。
このような書き方があったのか。それこそ読者の方が『魔法使いクラブ』の世界に閉じこめられていたような錯覚すら覚える。
物語はエンディングに近づくにつれ、ますます目が離せなくなる。崩壊した家庭から結仁が見いだしたものは?そして、その後の結仁の行く末を私は心配しながら物語は終演を迎える。
2010年2月その2
『ゴクミ』(一般書)
後藤久美子 著 講談社 2009年11月26日
きれいだと思った。初めてテレビで彼女を見た時にそう思ったのだ。思春期まっただ中でツンツン棘のあったあの時期ですら、同性のしかも年下の後藤久美子を見て素直に感じたのだ。それからあっという間に彼女の周囲は騒がしくなっていったように記憶する。それでも、周囲の喧噪をものともせず、彼女はきれいなままだった。少なくとも私はそう感じていた。そしてきれいなままで、俳優さんを続けるのだろうと漠然と思っていたのだが、彼女は21歳の時、結婚。日本から脱出した。それから時折、雑誌には顔を出していたように思えるが、見事に日本の中から彼女は存在を消したように思えた。そして、この度、時折顔を出していた雑誌に掲載されていた記事を加筆・修正したものが1冊にまとめ出版された。
表紙の後藤久美子はやはりきれいだった。日本から脱出して15年。いわゆる異国で子どもを3人出産し、かなりの苦労があったのではないかと想像するのであるが、そんな苦労は少なくともその表紙からは見受けられなかった。まさに俳優さんなんだなあというのが表紙から見た後藤久美子への感想だった。が、表紙をめくった彼女のポートレートはそうではなかった。確かにきれいなのは間違いない。本に掲載されるため、美しく着飾り、メークもほどこし、きちんとしたポーズを取っている。そこは、俳優後藤久美子である。ただ、隠すこともなくはっきりと写っているほうれい線に、目尻の小皺。今の彼女の年齢の俳優さんならあまりみかけることのない皺。芸能人でなければ、年齢を重ねるごとに自然についていく皺。それが彼女の15年を物語っているように感じた。苦労と言うよりは普通の生活をしていたのだと思った。皺を隠すことなく生活できる毎日を日本から脱出することで得ることができたのだと。と同時に皺を隠さなくてはならない不自然な世界。それが一般の人に夢を与える職業であり、私たちは非日常の恩恵をその職業の人たちから与えてもらっているというのも事実である。しかし、現実はその虚構の世界の方が正しいように私たちは植え付けられている。巷ではほうれい線や皺があることが間違いで、年齢を重ねてもいつまでも10代、20代のような若々しさを保たなければならないとされている。それを後藤久美子はこの本を通して否定しているように思えた。確かに彼女は今もきれいだ。しかし、10代、20代のきれいさとは違う、普通に歳を重ねた上で得たきれいさ。ほうれい線も皺も全てを受け入れたきれいさが正しいのだと主張しているようにすら思えた。
本書はポートレートだけでなく、海外に居を構えてから受けた取材記事も掲載されているが、その文章を読まずとも、ポートレートだけで彼女が伝えたい15年がそこにはある。非日常を与えてもらうことは決して間違いではない。しかし、そこは虚構の世界であり、夢を与えてもらった後は、再度現実と向き合え、そんなメッセージを少なくとも私は本書から受け取った。
2010年2月その1
『奇跡の湯 玉川温泉の整体師』(一般書)
小川哲男 著 朝日新聞出版社 2009年
この季節になると温泉が恋しくなる。2年前2年間住んでいた青森及び東北地方は私が想像する以上に温泉天国だった。一般的に呼ばれている「銭湯」も全て温泉。しかも、全国的にも有名所の温泉場も車であっという間に行け、1日で何カ所も梯子ができた。2年間で東北地方のそれを全て廻ることはできなかったが、それでも我が家は数多くの温泉場に足を運んだ方ではないだろうか。行く先々の温泉場で思い出が生まれ、今尚こうして胸に温めている状況である。玉川温泉もその中の一つだ。
玉川温泉は特別天然記念物に指定されている白投石の生成の場として知られているが、何よりここを有名にしたのが、「癌(悪性腫瘍)」の治療との関係性であろう。当温泉場ではそのことについて禁忌事項になっており、科学的な根拠は不明であるが、とりわけ温泉場周囲の地熱を持つ岩盤にゴザを敷いた岩盤浴のスタイルはメディアでもしばし取り上げられ、目にする人も多いのではないだろうか。私も実際にここを訪れた時、テレビでの光景が目の前で繰り広げられており、何とも言えぬ想いにかられた。しかし、それ以上に印象深かったのは、やはり温泉浴の方である。実際に報道されているように、あきらかについ最近手術をされた方々が数多く見受けられた。しかし、私が訪れた少なからずあの時点の浴場は、みな病気を患っているとは思えないほど、明るく(私はすぐ病気になると暗くなる)、玉川温泉初心者で小学生の娘を連れた私に入り方を指南してくれたりと、楽しいひと時を過ごすことができた場所である。
…と玉川温泉のことを語り出すと、たった一度きりの私でさえもこのように止まらなくなってくるのだから、今回紹介する本書の著者がこの温泉場で整体師をしてということだけで、語りたくなるようなドラマはたくさん持っているというのは、明かであろう。しかも、先に書いたように、多くが病気をかかえた方々である。実際、著者はサブタイトルに「余命と向き合う人たちにささげる笑顔の1時間」としている。命にタイムリミットが明らかになった人達と向き合わなければならなかった苦悩から、徐々にだからこそ整体師としての仕事をまっとうしたいという著者の前向きになっていく過程が記されている。そして、更には前向きになるだけではなく、自ら命に限りがあるという期限をつけてしまった患者さんからその思いをうち消し、また著者と再会するために「希望」を持ってもらおうという著者の想い。「余命」と宣告された患者さんに「希望」を持てというのは、端から見ているとすごく無責任な言葉のようにも思える。しかし、玉川温泉で生活する著者だからこそ語れる言葉なのである。著者は本書でこう綴っている。
「今は亡きお客さま数人から、『あなたが今、話していることや、あなたの信念を本に書きなさい』と言われました。私はその言葉に励まされて、病と闘う方々に、みずからの持っている力をもう一度奮い立たせてほしいと思ってこの本を書きました」(p189)
私にとっては、「温泉」という記憶とともに玉川温泉という場所から発信される「命」について改めて考えさせられる1冊であった。
2010年1月その2。
『そろそろ最後の恋がしたい』(一般書)
唯川恵 著 角川春樹事務所 2009年
28歳、独身。2回の転職を経て、現在女性ファッション誌の編集者である桃子が綴る日記。その内容は仕事と恋愛が4:6。更に日記の頭にはその日の食生活が毎日記録されている。
いや正直、この設定はバブルの時か?と思ってしまった。それとも、独身者の場合、バブルであろうが、なかろうが、このような優雅な生活ができるのか(私が読みとる限り)。それとも小説だからこそなせる技なのか…。そもそも、毎日の食生活が鼻につく。まず朝食。「レーズンロール1個」という時もあるが、「胚芽パン、黒酢ドリンク、コーヒー」、「ブルーベリーデニッシュ、低脂肪ヨーグルト、コーヒー」などなど。オシャレすぎる。きれいすぎる。そして、昼。「春キャベツと鮭のクリームソースのパスタ、ミニサラダ、コーヒー」、「メキシカンチョリソーのタコス、アボカドのサラダ、ジャスミンティー」などなど。そしてわざわざおやつの記述まで。ちなみに8月6日(月)は「豆腐ティラミス」。晩ご飯まで紹介すると「薬膳のモツ鍋、酢モツ、大根サラダ、地鶏のたたき、生ビールジョッキ1杯、ウーロン茶」「シーフードのフォーと春雨サラダ」など。そもそも、「フォー」ってなんだ?と私には想像できないメニューも少々あり。
振り返れば、自分自身の28歳は、桃子と同じ東京に住んでいた。しかし、この年齢の私は、子どもの幼稚園探しにあけくれる毎日。すでにこの時点で、桃子との生活にはズレがあり、哀しいかな共感できない。それでも、会社員としても過ごした東京。仕事で代官山にこそ行ったことはないが、六本木や麻布はそれなりだったように記憶する。しかし、桃子のように連日、おしゃれなところに飲みに行ったり、脳味噌の中が恋愛6割という状況に陥ったことはない。そもそも、朝からコーヒーなど飲むゆとりはまったくなかった。生活費も家賃を払うといっぱいいっぱいのため、朝起きたら、まずはお昼の弁当を作って、炊飯器に残ったご飯を立ったまま口に詰め込み出社、という日々。土日は体を休ませるのが精一杯。もちろん、脳味噌の中は仕事のこと以外に入る余地なし(それでも、早いウチに結婚してしまったのはほとんど奇跡。更にその過程の記憶はほとんどなく…。それだけ仕事に追われていたのは事実)。
それでも思う。もしかして、私が28歳独身であのまま東京で会社勤めをしていたら…。少なくともあの頃よりは金銭的にもゆとりが出来、連日とは言わないまでも、オシャレなところで外食する回数は増えていたのかもしれない。そして、同僚達と恋愛事情を肴に語り合ったり、目の前を通り過ぎていく男性を見ては色めきたっていたのかもしれない。
私にとってはまったく「ありえない」設定の物語なのであるが、実は仕事と恋愛を天秤にかけつつ都会で颯爽と生活しているそんな桃子が私は少々羨ましいだけなのだ。
2010年1月その1
『学問、楽しくなくちゃ』(一般書)
益川敏英 著 新日本出版 2009年10月
昨年の11月に行われた「事業仕分け」はまだまだ記憶に新しいことではないだろうか。その中で、私が印象的だったのは「科学技術関連予算」の削減についてだった。それは予算削減そのものというよりも、そのことに対してノーベル賞とフィールズ賞受賞者がそろって緊急会見を開くというあの状況が印象的だったのだ。何かしらの式典や大がかりな国際会議などがあった場合、前もってスケジュールを合わせて一同が揃うということはこれまでにもあっただろうが、それでも一般の人にはなかなか目に留まることはない。それがあのような超豪華メンバーがテレビの向こう側でフラッシュを浴び、連日ニュースに取り上げられているのだ。各々のスケジュールを度外視してまでこのメンバーを集結させてしまう「予算削減」とは…、テレビを観ながらそんなことを私は考えていた。ただ、正直報道を通して知る限り「予算削減」が今後の科学技術の発展に対してどのような影響があるのか、なかなか理解し得なかった。もちろん、予算はないよりもあった方がいいのは、科学技術だけではない。どの分野においても必要なものである。しかし限りある財政の中でやりくりもしないといけない。もちろん、私は道路にお金をつぎ込むよりは教育にかんする分野に投資して欲しいとは思ってはいる。それでも、どこか漠然としたものしか、あの緊急会見では私の中に残らず、ただひたすら豪華メンバーだなぁということだけが印象的だったのだ。
それから1ヶ月余りたった新年早々に手にした1冊『学問、楽しくなくちゃ』にその答えがはっきりと書いてあった。著者の益川先生もご存じの通り2008年のノーベル物理学賞受賞者である。あの緊急会見には列席していなかったが、この会見に賛同しているということは、新聞だったかで目にしていた。
益川先生(本書)によると、科学が最終的に人々の役に立つのは基礎研究が始まって100年経ってからというのである。事例として本書では「電磁波」について取り上げていたのだが、この存在を理論的に予見されたのは1864年。その後最初に実用化されたのは1940年代の軍事レーダーとして。しかし、一般の人が扱える家電としての利用は1950年以降とのこと。これが一般的な科学の流れだそうで、それは「電磁波」だけではないらしい。つまり、基礎研究の時点で予算を削減されてしまう(益川先生の言葉を借りると、予算削減で基礎研究を「枯らしてしまう」)と、100年後の社会は大きなダメージを受けるというのである。これこそ、まさに「現場の声」ではないだろうか。昨年の緊急会見もただ「予算削減」は困るというものではなく、これまで何十年と研究を重ねてきたその実績に基づいた発言、そして100年後の日本を心配しての会見であったことを、本書を通して知った次第である。
本書は益川先生が講演会で話したことや、雑誌に書いたものをまとめたものである。文章はあのノーベル賞受賞以降、テレビなどで語られる口調そのままで、益川先生の人柄がそのままあふれ出していて、とても読みやすい。先に記した「科学の話」だけでなく、「学ぶこと」「(益川先生の)研究」「大学の役割」「平和」が大きなテーマとしてくくられていて、読んでいるだけで「現場の声」がそのまま胸に響いてくる。おそらく本書は中・高生を読者としてのターゲットとして構成されたものではないかと思う。だからこそ肩肘をはらずに読めるので、新春にふさわしい1冊のように私には思えた。
2009年12月その2
『阪急電車』(一般書)
有川浩 著 幻冬舎 2008年
関西在住者から「面白かったよね〜」。元関西在住者からは「とっても懐かしかったわ」。そして関西に住んだことのない友人達からは「あのような感じなの?」と。そして、必ずどの人達からも最後は「もちろん、読んだよね〜」と、とどめを刺されるたびに肩身の狭い思いをしていた『阪急電車』。
確かに私は現在関西在住中で、最寄りの駅が「阪急電車」の駅であることは間違いない。そして毎日のように「阪急電車」を利用している優良な客でもある(PITAPAで区間指定までしている)。しかし、本書が出版された時、この作品の舞台が「阪急電車」の中でもかなりマイナーな(少なくとも私にとっては)「今津線」であったので、あまり興味がなかったのだ。と言うよりも、同じ鉄道会社ではあるものの、かつての国鉄、現在のJR東日本と、JR西日本くらいの差を私は感じていた。しかも、私の中で明確に線引きされている完全なる「ご当地本」ではないか。
「ご当地本」はやはり某か自らと接点がなければ読む気がしないのだ、私のポリシーの中では。少なからず私は今津線の利用者でないどころか、一度として乗ったことがない。そもそも、私が住んでいる京都府とこの今津線のある兵庫県とでは、51.2kmも離れているのだ(この距離は自宅の最寄り駅から、今津駅の始発地、西宮北口まで)。正直めんどうくさい本が出版されたなぁというのが、当時の心境。
そんな喧噪に巻き込まれながら、やり過ごすこと1年。ようやくこの本に関して私の周辺で静寂が戻ってきた時に、ひょっこり図書館の本棚に佇む「阪急電車」。なんだか、今なら許してあげられる感じがして借りてみた。
いや、とってもいい作品ではないか。温もりを感じる日常がそこにはあった。宝塚駅から西宮北口駅までの8駅および駅周辺でおこる物語が各駅15ページ前後で描かれている。そしてその駅ごとに物語が分断されることなく、伏線で前の駅に出てきた人物が自然に次の駅でも触れられているという、私たちが普段乗っている電車の中で行われている人々のドラマが展開されているのだ。
本書の後半は「折り返し」ということで、前半の半年後、今度は西宮北口駅から宝塚駅までの15分が描かれている。そしてそこには、前半で出てきた人物達が偶然にも乗り合わせている設定となっている。ただし、人物達はそのことにはまったく気が付かず、物語は展開されている。これが、この作品の上手いところ。
毎日電車を利用している者にとっては、このようなことは有り得ることであろう。何せ、このような場合は基本的に決まった時間に、決まった車両に乗ってしまうという法則が出来上がっている。そしてお互いに意識はしないが、電車という密室の中でそれぞれが自らのドラマを演じている。それが些細な弾みで隣の人とドラマが重なってみたり、意識をしてみたりということはあるのではないだろうか。
これまで私の茅の外にあった「阪急電車・今津線」。この作品を読み終える頃には、一度はこの線を利用して、私自身この物語の一人になってみたいと思ってしまった。
2009年12月その1
『儒教と負け犬』(一般書)
酒井順子 著 講談社 2009年6月
著者の代表作となった『負け犬の遠吠え』から6年。再び「負け犬」のタイトルを付けた本を出版。しかも、今回は「儒教」とタイアップ。「負け犬」と「儒教」がどのようなところでつながるのか、かなり興味津々でページを開いた。
そもそも、著者が「負け犬」と「儒教」を関連づけたのは、日本ではなく、韓国の現状を知ったことによるものである。日本と同様、いや、それ以上に少子・高齢化が進む隣国で日本と共通していると言えば、「伝統的家族観が強いこと」。それは儒教の教えに起因するのではないかと考えたのである。そうなると、儒教の生まれた国、中国はどうなのか。もともと一人っ子政策を行っている国だけあり、少子化は間違いないことなのだが、もしかしたら日本、韓国同様、中国にも「負け犬」問題があるのではないかとまで著者は想像したようである。そして、この仮説に基づき、著者が韓国(ソウル)、中国(上海)に行き、それぞれの「負け犬」と「勝ち犬」に取材を行い書かれたのが本書である。
日本では、「儒教」そのものについて、教えられることは皆無に等しい。大体にして、日本は一応仏教の国であり、実は「儒教」とは何ぞやという人も多いのではないだろうか。かくなる私もその一人で、唯一「儒教」で知っていることは、「年長者を敬う」こと位だろうか。それも、そもそもこれも「儒教」の教えなのかと言われると、はっきりしない。そこで、本書では、「儒教とは」という話も著者なりに説明してくれている。著者の見解によると、日本人にとって「儒教」とは学ぶものではなく、染み込んでいくものらしい。例えば、お葬式の時、棺や位牌に手を合わせるのは、仏教式ではなく、儒教のマナーなのだそうだ。また、教育に対する考え方も、この三国はよく似ており「知識偏重型」。これも儒教に関係してくるということなのである。
しかし、いちばん顕著なのは、やはり前述した「伝統的家族観」であろう。昔は「家の継続」という儒教的な教えにだけ邁進していれば良かったのだが、今は、それと相反するように「自由で男女平等」という価値観が入ってきた。そのため、今の若者(20〜30代)達はとりあえず「自由で男女平等」な生活をしていくのであるが、やはり儒教の教えが染みこんだ国。この価値観がプレッシャーとなり「結婚」に対して及び腰になるようである。これが、三国共通の「負け犬」達の実態のようである。
と書くと本書を読まずとも話が完結してしまうのであるが、実は本書の面白さはこの先にある。同じ「儒教」の染みこんだ国でありながら、この「負け犬」人生を送っている女性達の姿勢が三国ともはっきりと異なるのである。どのように異なるのかは読者のために秘密にしておくが、著者は以下のように言っていることだけは付記しておく。
「東京の負け犬は、ソウルの老処女、上海の余女と比べると、どうにもあぶなっかしいのです」(p223)
2009年11月その2
『岩崎弥太郎〜国家の有事に際して、私利を顧みず』(一般書)
立石優・著
PHP文庫 2009年11月18日
「岩崎弥太郎」という名前を聞いて、私が知っていることと言えば「現在の三菱グループを創設した人」のみである。そして、その「三菱グループとは」と聞かれると、「旧財閥系企業」と応えるのが精一杯である。あえてそこに言葉を付け加えるとしたら「とってもお金持ち」という私が持っているイメージしか応えられない。しかし、おそらく、これは一般的な人が持っている知識量とイメージとさほど変わらないのではではないかと私は思っている。
そもそも、本書に手を出したのは、なんてことはない。深夜高速バスに乗った時の暇つぶしの本を探すため、バス停側のコンビニに入ったところ、本書が目に留まったのだ。と書けば格好いいのであるが、他にこれと言ってそそられる本がなかったので、「とりあえず」と言った意味合いが大きい。まぁ、それでも、本書を手にしたというのは、私自身小学生の頃、よく伝記を読んでいたなぁというのを思い出したため。久しぶりに伝記物でも読んでみようかと思ったまでのことである。
さて、「岩崎弥太郎」という人物。最初に私が記しているように、「財閥系企業」を創設したというのであるから、とんでもないお金持ちのボンボンだと思っていた。つまり、当時の皇族とか華族からなる家系の中から、事業をするようになった一族が「財閥」と呼ばれているのだと思っていたのだ。そのため、読み始めた時に、彼が「地下浪人」の身分であることを知り、すっかり肩すかしをくらった。どうも、私自身「財閥系企業」というものをはき違えていたようである。そうなると、かなり私自身の読み方も変わってくる。
「地下浪人」の家系で、しかも、分家(弥太郎は岩崎家の本家)の方が出来が良く、弥太郎が上京する時には、父親が山を売って、どうにかその資金にあててくれたとまである。とこれだけ書けば、とても勉強が好きで、まじめな印象を受けるが、それまでに弥太郎は多くのトラブルに見舞われているというよりは、トラブルの種を蒔いている。かなり破天荒な性格だったようだ。しかも、ようやく上京でき、勉強に打ち込み始めた矢先、今度は父親のトラブルで地元土佐に戻らなければならなくなるのだ。それからも、弥太郎は紆余曲折の人生を歩む。
彼がいわゆる「三菱グループ」の前身となる「三菱商会」を立ち上げたのは、なんと39歳の時である。随分遅咲きのように私には思えた。しかし、弥太郎はそれまでにいわゆる社会の教科書に出てくる、維新前後の有名人物と交友を深めている。それが「三菱商会」を後に「財閥系企業」として大きくしていった一つの要因であることは、本書全体から伺える。本のタイトルが「岩崎弥太郎」になっていなければ、明治維新前後の歴史の話としても十分に成り立つほどの主要人物が登場するのである。もしかしたら、あの当時の歴史は岩崎弥太郎が動かしていたのかとさえ錯覚してしまう。私自身、伝記物として本書を読み始めたのであるが、正直、明治維新前後の歴史は苦手であまり明るくなった。そのため、途中からは伝記物というよりは、明らかに当時の歴史を再学習という形で読み進んでいたように思える。「岩崎弥太郎」という人物を読んでいくか、歴史書として読んでいくか読者次第であろう。
最後に下世話な話題を一つ。本書で、岩崎弥太郎は、福沢諭吉と深く繋がりがあり、「三菱商会」創設以降、慶應義塾の卒業生を多く採用していたということである。実際、福沢諭吉は卒業生の働いている様子も気にして、訪問までしていたという。そこで思ったのが、今の「三菱グループ」も割合的に慶應義塾の卒業生が多いのかと言うことである。このようなことを思うこと自体とても下品だと言うのは重々承知なのであるが、本書を読んでいると、今でも尚この伝統が続いていても面白いなと思ったのである。万人に開かれた今の日本社会であるが、かえって当時の弥太郎のような考え方を確固として受け継がれている方が、今となっては新鮮な気がしたのである。そしてもしかしたら、混沌としている今の日本経済に風穴をかけるかもしれないと、無責任にも思ったのである。もちろん、今私が就職活動中の学生であれば、このような区別をしている会社というだけでとっても嫌な思いをしているのは、間違いないことなのだが。
2009年11月その1
『元素周期〜萌えて覚える化学の基本〜』(一般書)
スタジオ・ハードデラックス 編・著 満田深雪 監修
PHP研究所 2008年1
萌えキャラファン必見の専門書があった。それが今回紹介する『元素周期〜萌えて覚える科学の基本〜』。誤解しないで頂きたい。「萌えキャラ必見の専門書」と書いたが、決して「萌えキャラ」の専門書ではない。立派な化学専門書である。どれくらい立派かというと、大型書店では中・高生むけの参考書として分類されているのではなく、理工科学系の専門書の棚に鎮座されているくらい立派なのである。
事の起こりは約1ヶ月前のこと。娘の同級生が「元素周期表が覚えられない」と父親に訴えたところ、その父親が本書を購入。そしてそれを学校に持ってきて娘に見せてくれたのだ。帰宅した娘の報告によると「とにかく可愛い。私はアルミニウムちゃんが好き〜。あぁ、そうそうフランシウムちゃんも可愛かったよ〜」。それを聞いた私は元素に「ちゃん」付けとは?可愛いとはどういうこと〜?と頭の中はクエスチョンマークで一杯。興奮している娘を落ち着かせ、話聞いてみると、各元素に関して、その特徴にあわせた萌えキャラが描かれており、それがとても可愛いとのこと。それでも、萌えキャラがどのように描かれているのか理解しがたい。そうなれば、本屋で確認するしかないと娘を連れて京都市内最大の書店に赴いたのである。娘の口から発するキーワードを頼りに参考書のフロアーを散策。しかし一向に見あたらない。思いあまって、スタッフに問い合わせたところ、案内されたのが、理工化学系の専門書が並ぶフロアーだったというわけである。
いや、周囲の専門書と一線を画して、そこだけ異様なオーラーが発していた。表紙は全体的に淡いピンクを基調として、そこに萌えキャラで埋められている。一見すると、萌えキャラで構成されたゲームの攻略本である。そして、中を開くと、萌えキャラ専門ではない私でも「可愛い〜」と淡いため息が出てくるくらい可愛い。各々のキャラがその特性にあわせたコスチュームでお出迎えである。しかし、さすが専門書である。そのキャラはしっかり、科学しているのである。例えば、周期表12番のマグネシウム。まず、ページのトップに「軽量合金を作り出すエコ元素」と書かれてある。そして、それにあわせるように、マグネシウムちゃん(本書は「ちゃん」付けではなかったが、分かり易いようにあえて「ちゃん」付け)、「この武器合金だけどとっても軽いのよ(ハートマーク)」と言葉を発している。もちろん、「この武器」と言っているだけあり、このマグネシウムちゃん見るからに重そうな(いや、軽いらしいのだが)バズーカ砲を持っている。一事が万事この調子である。しかし、何度も繰り返すが専門書である。各元素についての説明書きが右ページにはあるのだが、これが本当に「専門的」でいたって真面目。完全理系頭脳の夫も唸るほど、分かり易く押さえるべき所はしっかり押さえたそれなりに固い内容になっているのである。だが、左半分を占拠した萌えキャラに救われ(いや、救われているのか、足をひっぱっているのか?)、この専門的文章を読もうという気になる。娘も萌えキャラに心惹かれ、「読み物として面白い」と言いだす始末。もちろん、我が家も即決購入と相成った。
実はこれを購入する際、書店のスタッフの方から「これは参考書ではなく、専門書なのですがいいのですか」と娘は念押しされている。その裏には「中学生が読んでも分からないだろう」という言葉が見え隠れしていたように私は感じたのであるが、萌えキャラのおかげが、何の抵抗もなく娘は本書を受け入れ、今では化学の授業のある日はこれも一緒に学校に持っていく状況である。
「萌えキャラファン必見」と、最初に書いたが、実はファンだけでなく、化学にアレルギーのある人、そして普通に化学を勉強している中・高生にも十分に対応できる専門書、いや、参考書としても通用する1冊だと思う。
それにしても、我が子にこれを購入した娘の同級生の父親。どうやってこれを見つけてきたのだろうか。一度話を伺ってみたいものである。
2009年10月その2
『平和ってなんだろう〜「軍隊をすてた国」コスタリカから考える』(中・高・一般書)
足立力也 著 岩波ジュニア新書 2009年5月20日
コスタリカという国がまったく軍隊を持っていないと言うことは知っていた。しかし、なぜ軍隊を持っていないのか、それどころかコスタリカという国そのものについても全く知識がこれまでなかった。ただ、「軍隊がない」ということで、もし他国から攻撃されたらどうするのだろうか。また、この国は日本のように経済的に発展している国ではないので、軍隊がなくても、他国から攻撃されることはないのだという内容のことを一度聞いたことがあった。果たしてそれが真実なのだろうかということも漠然と思っていた。そんな中、ひょっこり娘の本棚から本書が顔を覗かせていた。何でも学校の課題図書になったため購入したという。これは読むしかないと手にすることにした。
さて、先の私の疑問であるが、その回答が本書には記述されていた。軍隊がないからと言って攻撃を受けないというのは、真実ではなかった。これまで3度、他国からの侵略があったらしい。しかし、それはアメリカの援護のため、全面戦争を逃れたという。これを知ったとき、すぐに思い浮かべたのは自国、日本であった。まさにコスタリカと日本はまったく同じ状況ではなのか。アメリカの軍事力にはどの国も口出しできないのが今の世界情勢なのだと、少々残念な気持ちでもあった。だが、それは大きな読み間違いであることにすぐ気付かされる。
コスタリカの場合、その後アメリカを楯にすることは、アメリカの要求を全て通さなければならないことであり、アメリカと敵対する国から敵国視される状況になることに気が付く。そこで、「積極的永世非武装中立国」を宣言する。これはただ宣言するだけでなく、ヨーロッパの主要国を説き伏せ明確な支持を取り付け、それをアメリカにつきつけたというのである。その後、コスタリカの大統領がアメリカのイラク攻撃に対して賛同した時など、国民のほとんどがそれを反対し、裁判を起こしたというのである。この一連の動きが日本と異なる道を歩き始めたことが分かる。
さて、この著書をすでに読んでいた娘にも感想を聞いてみた。「あんまりよく理解できないところが多かったけど、子ども選挙の部分は面白かった」とのこと。その「子ども選挙」であるが、コスタリカでは、国政選挙前に、必ず17歳以下の子ども達が本物の投票用紙を使い、実際の候補者に対して模擬選挙を行うというのである。そしてその結果はテレビでも放映され、後の政策にも活かされるとのこと。
一般的にコスタリカは「軍隊がない国」として注目されているが、実は「平和」を「民主主義・人権・環境」という概念として捉えていることが最も強調すべきところであることを本書を読んで理解することができた。その一つが「子ども選挙」なのである。子ども選挙が実際の投票数には数えられないが、子ども達の考えも政策に取り入れることで、子ども達の人権は尊重され、更に民主主義とは投票することから始まることを、幼い頃から体感できるのである。このような積み重ねの一つ一つが日本と異なる「平和」の概念であり、結果として「軍隊をすてた国」へにたどり着いたのではないだろうか。
と書いたもののコスタリカが全てに関して完璧な国ではないことも本書では記されている。少数民族に対する意識は薄く、観光立国となったための環境破壊など問題も山積みである。しかし、これから日本が歩んでいく道として、コスタリカは一つの道しるべになるのではないかと感じた。
2009年10月その1
『京のお地蔵さん』(一般書)
竹村俊則 著 京都新聞出版センター 2005年
京都に住み始めた時に、これまで住んだ場所と違う文化がそこにあることを数多く知ったがその中の一つに「地蔵盆」という行事がある。もしかしたら、京都だけでなく、関西一円にこの行事があるのかもしれないが、少なからず、私が生まれ育った広島、社会人として生活した東京、そして夫の転勤先となった青森にはなかった。私にとってはとても独特な行事に感じている。そしてこの行事を通して、私は自然に「お地蔵さん」に目が行くようになったのだが、とても京都にはこの「お地蔵さん」が多いように思われる。何せ、以前住んでいた所(京都府内)は、社宅だったのであるが、この会社の敷地にですら「お地蔵さん」があり、やはりその「お地蔵さん」を囲んで、8月の下旬「地蔵盆」が行われていた。ただ、京都は、お寺が多いので、その関係で「お地蔵さん」が多いのだろうとこれまで安易に思っていた。私有地にまで「お地蔵さん」を持ち込む理由は自分の中でこれまで考えないことにはしていたのであるが。
そうこうしているうちに時は経ち、ようやくその謎が少し解けた。本書『京のお地蔵さん』がそれである。本書によると、今から約1000年ほど前、貴族社会とは比べものにならないほど、民衆の地獄に対する恐怖が大きく、その苦を変わり受けるものになったのが地蔵信仰となったらしい。また、その頃京都では、「お地蔵さん」を造るための良好な花崗岩が容易に採取されたことが、更に地蔵信仰を広めるようになったようである。
さて、本書、実はこの謎を解くための本ではない。散々、このことについて書いておいて申し訳ないのであるが、本書は京都にある由緒正しい(と書くと語弊があるか?)お地蔵さんを集めて紹介しているものである。その中で少し、前述した私が持っていた疑問について触れてあったので先にお伝えしたのである。
「お地蔵さん」と言えば、私の場合、昔話『かさこじぞう』に出てくる片手に宝珠を持ち、もう片方の手は手のひらを上にしたものか、両手を合わせて拝んでいるようなイメージであるが、どうもそれだけではないようである。
例えば、西京区にある金藏寺の将軍地蔵。こちらはなんと馬に乗っている。写真を見る限りお顔は「お地蔵さん」というよりは、幾分優しい武士と言う感じ。手も宝珠ではなく刀と、旗を持っている。でも、やはり「お地蔵さん」らしい。また、千手観音ほどはいかないまでも、6本の手(腕)を持つ「お地蔵さん」もいる。それは、上京区、智恵光院内の六臂地蔵(ろっぴじぞう)。こちらもまた、お顔は「お地蔵さん」という感じが少なからず私はしない。どちらかというと大仏様。
もし、本書を読まずしてその場に行っていたら、いや、その物体に「地蔵」という名称がついていなかったら、もしくはそれを見過ごしていたら、明らかに「お地蔵さん」としては見逃していたであろう「お地蔵さん」が、本書には幾つも取り上げられている。しかし、これらの「お地蔵さん」について文献は極めて少なく、執筆は困難だったと著者は記してある。その中で本書に掲載されている「お地蔵さん」の姿(写真)とその記述はとても分かり易く丁寧で、実際にその地に足を運んで、「お地蔵さん」を拝んでみたいと思わせてくれる1冊である。
2009年9月その2
『外科医 須磨久善』(一般書)
海堂尊 著 講談社 2009年7月
本書は著者初の「伝記」である。これが出版された当初、そして私は中を読むまでてっきり、著者のお家芸である医療ミステリーの新シリーズだと思いこんでいた。しかし、『外科医 須磨久善』は、作者の存在を強烈に与えたデビュー作『チーム・バチスタの栄光』の中心となった「バチスタ手術」を日本に持ち込んだ当事者であり、それより遡ること10年前、世界で初めて「胃大網動脈バイパス手術」を成功、確立させた本人であった。その人物の軌跡を描いたのが同じ医者であり、現在作家としても活躍する海堂尊なのである。
実際、須磨久善がいかなる人物で、「バチスタ手術」や「胃大網動脈バイパス手術」がどのようなものであるか、そしてそこに至るまでの並々ならぬ過程というのは本書で読んで頂きたい。ここであえて特記したいのは、今の日本の医療状況についてである。再度申し上げておくが、本書は須磨久善の伝記である。しかし、随所に今の日本の医療状況についてが、ちりばめられており、著者は本当のところ、この部分がいちばん読者に訴えたいのではなかろうかと私は思うのである。
まず、一つ目。日本のバイパス手術は世界の最高水準であるということ。しかも静脈を使ってのものでなく、動脈を使ってのバイパス手術は抜きにでるものがあるというのである。静脈のバイパス手術は安全性は高いが、手術10年後の血管閉塞率が極めて高くなり患者さんの長期予後が悪いそうである。その点、動脈を使うと手術は困難を極めるが、長期予後を考えると術後の患者さんにとっては快適な生活が保障される確立が高くなるというわけである。日本の外科医は、今の安全よりも患者さんの未来を考え、自らの技術の向上させ、動脈を使ったバイパス手術に挑んできたそうである。それが結果的に世界最高水準にまで技術が上がってきたのであるが、今の日本現状はこれら医師の努力を評価する器をまったく持ち合わせることなく、今だけの結果で判断する気質に変わってきており、これが続くと今後須磨久善のような外科医が生まれて来ないのでは、そして、これまで培ってきた日本の最高水準の医療技術が崩壊するのではないかと、著者は危惧している。
次に、現在世界では、心臓疾患に関しては「バチスタ手術」は縮小傾向で、多くが「心臓移植」に向かっているそうである。その中で、日本のみが未だに「バチスタ手術」を積極的に導入している国であるということ。そして、またこれも技術が向上しているということである。なぜ、日本が「バチスタ手術」をやめないか。世界的には「バチスタ手術」の成功例は低いらしい。しかし、これも須磨久義がその原因を究明して日本では諸外国に比べ成功率を上げている。須磨久義の言葉を著者がこのように代弁している。
「脳死関連法案が通過し、日本でも心臓移植が可能になったが、心臓移植は十年で六十人程度しか行われていない。これではとても普遍的な治療とは言えない。 〜略〜 移植が出来ればいいのだが、移植を受けられない人をどうすればいいのか、という考えは、医療行政の見地からはすっぽり抜け落ちている。 〜略〜 移植を受ければこれだけ長生きしていて元気に過ごせます。と宣伝したところで、肝心の移植リストに入れてもらえなければどうにもならない。そんな人が大勢いる。これが現実だ。」(p155,156)
世界のトップをひた走り、それを日本の医療現場に下ろしてきた須磨久善。そして、今の日本の医療現場にどっぷり浸かったまま、いてもたってもいられなくなり、それをペンに置き換え実状を訴える海堂尊。この1冊は2人の現役の医師がまさに二人三脚で作り上げた著書である。医療事故が何かと過剰にとりあげられるこの頃であるが、それが果たして本当の真実なのだろうか。この1冊だけを読んで判断することはもちろん難しいことだが、それでも視点を少しでも変えることはできるのではないだろうか。
2009年9月その1
『数学オリンピック1999〜2004』(一般書)
(財)数学オリンピック財団 編 日本評論社 2004年
毎年、夏頃に新聞の片隅にひっそりと記事になる「数学オリンピック」。その名称と小学生から高校生までが参加する数学のコンテストであることは知っていたが、その詳細についてはまったく皆無であった。そこにひょっこり私の前に表れたのが、本書である。
本書によると、数学オリンピックは1959年にルーマニアがハンガリー、ブルガリア、ポーランド、チェコスロバキア、東ドイツ、ソ連を招待して行ったのが最初であるとのこと。その後参加国が持ち回りになり、毎年開催されているという。ちなみに日本の初参加は第31回(1990年)の北京大会で、54カ国が参加している(更にインターネットで調べてみると、本年度の参加国数は104カ国)。
さて、本書の構成であるが、最初の4ページが「数学オリンピック」の概要説明。そして、メインは1999年から2004年までの日本国内の数学オリンピック予選、及び本戦、そして国際大会で出題された問題。最後にそれらの年の日本選手達の成績が掲載されている。
「数学オリンピック」では何が出題されているのか。私の印象では、理系の高校3年生が学ぶ、いわゆる数。を中心とした問題構成となっているようである。参考までに2001年の日本予選の第1問目は、以下の通りである。
「2001をある正の整数nで割ったところ、余りは114になった。このようnのうち、最小のものを求めよ。ただし、n>114である」(p35)
これは、その年のいちばん簡単と思われる問題である。おそらく、数学が得意な人であれば、この問題ならかなりあっさりと解けるのではないだろうか。是非、挑戦していただきたい(解答も本書にはきちんと掲載されている)。
今、少なからず日本では学力低下を指摘されているが、この「数学オリンピック」に関してはその指摘は実は見受けられない。本書によると初参加の1990年は国際順位13位だったのであるが、2004年には8位と順位を上げているのである。本書からは、この年までしか結果が分からないため、今年の順位をインターネットから調べてみたところ、なんと第2位であった。運動の祭典であるいわゆる普通の「オリンピック」は毎回報道でも大々的に取り上げ、その期間は「オリンピック」一色になるのに、なぜこのような学問における大会に関して日本は大きく取り上げることがないのであろうか。せいぜい、「ノーベル賞」を取り上げるのが精一杯である。この「数学オリンピック」だけでなく、他の「科学オリンピック」など、実は日本の生徒さん達は国際大会に出場して好成績を毎年残している。しかも「数学オリンピック」に関して言うと、中学生以下(もちろん、小学生も含む)の生徒さん達も活躍しているのである。
これらのことから、「学力低下は問題」と言いながらも、実は日本は、「勉強」というものを軽視している風土がどこかしらあるのではないかと私は感じる。私が子どもの時もそうだったが、スポーツで頑張っている子はもてはやされ、勉強を頑張っている子に関しては、「ガリ勉」と揶揄される風潮があった。それは今もあまり変わらないように思える。現在、「学力向上」として国は躍起になっているが、実はこの風潮さえなくなれば、自然と学力が上がるように思えるのは私だけだろうか。
更に加えて書くと、これらの生徒さんが通っている学校のほとんどが、有名私立・国立中高一貫校である(ここまで記載されている)。これを経済的格差ととらえることも出来るが、実は、このような能力のある子どもを認めて育ててくれる地盤が公立の一般中・高校にはないのではないかと思ってしまうのもやはり私だけだろうか。
是非、このようなオリンピックに関しても、生放送で中継して欲しい。頑張っている子ども達の勇姿を映しだしてくれることにより、「勉強」することも「かっこいい」ことだと、誰もが認めるようになるのではないだろうか。
本書の最新版(2005〜2008年の問題を収録)が、今月出版されるとのことである。興味を持たれた方は、最新版を手にした方がいいかもしれない。
2009年8月その2
『ハリー・ポッターと謎のプリンス』(映画)
デイビッド・イェーツ 監督 ダニエル・ダドクリフ 出演
2009年7月6日日本公開
この読書ノート寄稿以来、必ず書かせて貰っている『ハリー・ポッター』シリーズ。そろそろ、いいかげん飽きてきた読者もいるのではないかと思いつつも、ここまで書いてきた手前、最後まで突っ走ってみることにした。そもそも、この長いシリーズ、原作本もラストまで読み切った人は最初の「賢者の石」の読者数からしたら実は少ない(私の周辺調べ)。ましてや映画となると、毎年公開ならともかく、2年持ち越しということもしばしあり、これを通して観ている人は更に少なくなっているようである。
それでも、私が懲りずに観てしまうのは、やはり、役者さん達の成長を肌で感じられるところに尽きる。とりわけ、今回は、主人公ハリー・ポッター(ダニエル・ダドクリフ)の敵役として、第1作から出演しているドラコ・マルフォイ(トム・フェルトン)の成長が著しかった。これまでは、薄気味悪く地味な感じにスポットライトが当たってるのかどうなのかという、いかにも「嫌なヤツ」というだけの印象しか私にはなかったのだが(実際、原作でもそのような役回りである)、今回は本当にいい味を出していた。実際、パンフレットの中で、制作者のデビット・ヘイマンが次のように語っている。
「たしかにドラコ・マルフォイには悪のイメージが、そして愚かなイメージがついて回ってきました。ところが今回は強気で生意気な仮面の裏に、繊細で傷つきやすい素顔が見え隠れする。いじめっ子というのは往々にしてそうなのかもしれません」
正直、原作ではここまでドラコ・マルフォイの内面に関しては描かれていなかったと私は記憶している。仮に描かれていたのだとしても、やはり中心人物のハリーやハーマイオニー達に気持ちが傾いたままで、ドラコのことまで寄り添うほど感情移入はできなかった・・・少なくとも私にとってはその程度の人物だったのである。しかし、この映画においては、思わずドラコの隣人のおばちゃん気分で映画に食い込んでしまった。「あ〜、あなたはそんなに悩んでいたのね。おばちゃんが何とかしてあげたいわ〜」そのような眼差しでドラコを観てしまうのである。これほどまでに感情移入してしまう自分にただ驚き、そしてそのようにドラコを表現した監督及びドラコ役のトム・フェルトンの演技に脱帽であった。それはまさに、6年も7年もほぼ同じ役者で続けて撮影を行っているからこそできる技ではないかとも思った。
もちろん、ドラコだけでなく、ハリーや彼らをとりまく魔法学校の子ども達の成長は前作よりも更に著しくなっているという点は総じて見逃してはいけないだろう。これは演技なのか、それとも子ども達の本来の姿なのか、全ての子ども達の成長が次回の最終話(2部構成らしい)でも楽しみである。
最後に蛇足であるが、ちょっと辛口のコメントも一つ。これだけ、子ども達の演技力や表現力を持ち上げておいてどうかと思うのであるが、本作品、「ファンタジー」というよりは、「ホラー」映画かと見間違える場面が多々あり。実際、原作でも悪の力が強くなっていくに従い、暗い場面が多くなってくるのであるが、映画化の際、もう少しアングルなり、表現方法なりなんとかならなかったのかと思ってしまった。少なからず小学生以下の子ども達が純粋に楽しめるかと言うところは疑問となった。
2009年8月その1
『クラゲの光に魅せられて〜ノーベル化学賞の原点〜』(一般書)
下村脩 著 朝日新聞出版 2009年6月
昨年日本人3名が、ノーベル賞を獲ったことは記憶にまだ新しいことと思う。その一人、ノーベル化学賞を受賞した下村脩さんの著書。本書はノーベル賞受賞後、各地で行われた講演会の内容をまとめられたもので、紹介文によると、彼の日本語による本はこれが初めてとのことである。
最初の講演録では、自分自身の生い立ちからノーベル賞を受賞したGFPの発見とそのメカニズムについて語られている。それは、明らかに、誰にでも分かり易く言葉を選んで、話されているようであるが、それでも、その専門的なところの詳細については、畑違いの私が完全に理解するのは、難しかった。しかし、GFPの発見が彼の意図せぬところで、使用され、現在の医学に光を当てていることは十分すぎるほど理解できた。が、それよりも、興味深く、更に、彼がノーベル賞を受賞すべき道筋がまさにあったのだと解釈できる彼の話が掲載されていた。
それは、彼が研究の対象としていた「オワンクラゲ」であるが、研究を始めた1960年頃は採集するのが簡単なほど大量にいたのだそうだが(実際、下村さんは当時、一夏で一万匹取ったと話されている)、1990年頃、突然消え失せ、2、3匹の獲得も容易でなくなったというのである。しかも、この1990年頃というのは、丁度、下村さんのこの研究が終わった頃だという。そして、彼は、この状況が20年早く起きていたら、GFPは発見されず、現在もGFPは存在しなかったであろうと、語っているのである。「オワンクラゲ」はまさに運命を下村さんに託したと言っても過言ではない。と言い切るのは、私の考えすぎだろうか。ただ、彼はこうも言っている。どんな分野でも、難しいと思わずに積極的にチャレンジして欲しいと。難しいことが達成したときの喜びは大きいし、努力すれば何とかなる。成功するまで頑張ろうとも。おそらく、運命が転がってきたというよりは、彼の努力がこの運命を引き寄せたとも考えられる。本書はGFPのメカニズムだけに視点を置くのではなく、このように、生き方のヒントから、現在及び当時の研究環境に至るまで、なかなか知ることのできない裏の話も随所に転がって、それだけで十分に楽しめる。
本書は先にも述べたように、講演録をまとめたもので構成されているが、その中には対談形式のものも含まれている。実際映像で伺っていた下村脩さんは物静かでクールなイメージがあった。しかし、これらの形で本書を読んでいると、次第に彼の人柄が浮かんできた。私のイメージとは異なり、とても温かく誠実で、そして、研究に関して今も尚メラメラと赤い火を燃やし続けている情熱の人であるようである。
研究内容はともかくとして、是非本書を手にして彼の人柄に出会って欲しいと思った。
2009年7月その2
『祇園祭の大いなる秘密』(一般書)(一般書)
久慈力 著 批評社 2004年
只今、京都は祇園祭の真っ最中。京都府外に住んでいる人は7月17日の山鉾巡行が祇園祭だと思っている人も多いと思うが(実は私も京都に住むまではその一人だった)、祇園祭は7月1日の「吉符入(きっぷいり)」から7月31日の「疫神社夏越祭(えきじんじゃなごしまつり)」の総称である。と言うわけで、まだまだ京都は祇園祭に関する催しがあちこちで行われている。図書館も例外ではなく、私が足繁く通う図書館では現在「祇園祭」の特集を組んでいる。その中でひときわ目立ったのが、今回紹介する『祇園祭の大いなる秘密』である。
結論を先に書くと、「古代イスラエル王国のシオン祭が、シルクロードを経由し京都に持ち込まれて祇園祭となった」というもの。つまり、祇園祭は日本(京都)独自のものではなく、イスラエルの祭りが起源となっているというのである。
それに関して、著者はシオン祭りと祇園祭の共通点を列挙している。いちばん分かり易いのは先にも書いたように、祇園祭は7月、1ヶ月に渡り続く祭りであるが、シオン祭りもやはり7月に1ヶ月続く祭りであること。その日程も祇園祭とシオン祭りはほぼ同じ行程となっており、本書では「祇園祭とシオン祭の驚くべき共通点」として細かくそれが紹介してある。また、神事そのものの共通性だけでなく、それにまつわる道具(鉾、御輿、ちまきに至るまで)の共通性も挙げている。
更には、なぜ祇園祭がシルクロードを通って京都に来たかという話になるのであるが、それは、イスラエルの民である秦氏が日本に植民した時に参加したためと著書は記している。つまり、本来、祇園祭はイスラエルの民、秦氏による神事だったということだそうだ。そのため、鉾に飾られた装飾品はシルクロードの風情いっぱいのものとなっているのがその証拠であると著者は主張している。
実際、これを読んで、著者の主張を本当と見るか、眉唾ものと見るかは、まさに読者次第であるが、どちらであろうと、このような本を読むと、祇園祭に関してますますロマンを感じるのは私だけだろうか。
日本の歴史を学ぶ際、シルクロードの最終地点が日本であることは、誰もが習うことであり、実際に奈良の正倉院などにはそこを通って日本に入ってきた宝物が展示されているのもよく知られていることである。ともすれば、祇園祭がイスラエル人による祭りだと主張する著者の意見も絶対的に間違いではないかもしれない。
私が青森に住んでいた時の話だが、青森県の戸来地区は、キリストが渡来しその地で亡くなったという伝説がある。実際私もその地に観光に行ったのだが、そこの地区の当時の着物は、日本のそれよりもまさに西アジアの着る物にそっくりで、更に産まれた赤ちゃんの額に十字架を書くという風習が残っているなど、山の奥まった土地で私たちがイメージしている日本の文化とはまったく異なる文化に出逢えたことに興味を持ったのは事実だ。
日本は小さな島国ではあるが、シルクロードの最終地点。まだまだ私たちが知らない様々な文化、風習、そして歴史が眠っているようである。これらのことを全て眉唾を思わずに、ちょっとだけ信じてみたら、また違う世界が見えてくるかもしれない。
2009年7月その1
『脱力系女子大教授』(一般書)
白楽ロックビル 著 丸善 2006年
読書ノート6月の定期便1に『水柿助教授の日常』を紹介させていただいた。この著書は水柿助教授の大学生活を含む日常を綴ったもので、著者はあくまでも「小説」と力説していたが、読者の多くと著者本人もひそかに「ノンフィクション」を自認しているものであった。この著書を読まれた方は、大学の助教授がどのような生活を送っているか、僅かではあるが想像ついたことと思える。
そして、今回紹介させていただくのも、大学教授の日常を綴った『脱力系女子大教授』である。本書と、前書で大きく違うのは、はっきりと著者が勤務する大学名をあげているところである。本書が出版された時の著者の肩書きは、お茶の水女子大学理学部生物学科教授/理学博士である。つまり女子大学最高峰の教授の日常である。
『水柿助教授』の場合、話があっちこっち飛び回り、なかなか着地点は見えにくいという特色があったが(あくまでも、「小説」のため、そのような構成になったのかもしれない)、今回は、エッセイということもあり、話があちこち飛ぶようなことはない。しかし、女子大の教授ということもあり、何か書くごとに「セクハラ」になってはならないという配慮なのか、自身のことを「不肖・ハクハラ」と記述し、ひたすら自分が書いたことに対して突っ込み、おやじギャグでまとめるという念のいれよう。それだけで、女子大の教授の気苦労が目に浮かぶ。
さて、お茶の水女子大学の学生の実態をハクラク氏の視点から見たものをここに一部紹介する。
まず、学部卒業生の8割が大学院修士に進学し、2割が更に博士課程に進学するそうである。また、過去の卒業生には生物学科を卒業してスチュワーデスになったという経歴の持ち主もいるとのこと。しかし、彼女たちの人生で最大の障害を書かせたところ、「結婚と出産」だったそうだ。ハクラク氏の言葉を借りると、
「だからイマドキの若い女性は、結婚したがらないし、出産したがらないんだ。ナットクゥ。ナットクウくわない」(p19)
確かに、8割の学生が修士課程にすすむお茶の水女子大。その先研究職などについた日には、確かに結婚や出産のことを研究と同時に考えなければならない苦労というのは、多分に理解できる。ハクラク氏でなくとも、ナットクであり、今の日本社会がそこに映っているようである。
また、生物学科卒業生の結婚伝説についても書かれてある。
「『卒業生の3人に1人は一生独身である』。講義でこう切り出すと、学生はシーンとする。『3人に2人は結婚するけど、うち1人は離婚する』。ここで、『キャ〜、イヤだあ』とどよめく」(p70)
この先に、女子大の教授をしている関係上、お嫁さん候補を紹介して欲しいという依頼が知人からくるらしいのだが、紹介できない理由が書いてある。これが、なかなか面白いし、今日の教員やこの年頃の女性と多く交わる機会がある人ならナットクされるものではないだろうか。その理由はせっかくなので、実際に本書を手にとって自らの目で確認して欲しいのであるが、一つだけ追記しておくと、卒業生などからお婿さん候補を探してくれという依頼はないそうである。これもまた、女子大の面白い一面ではないかと思う。
上記紹介させていただいた内容は、女子学生のことに特記したが、実際本書では、教授の仕事から、校内で起こった事柄まで詳細かつユニークに書かれている。『水柿助教授の日常』と合わせて読んでいただけると、更に一層大学教授の生態が分かるのではないだろうか。
2009年6月その2
『野球の神様がいた球場〜広島市民球場とカープの軌跡』(一般書)
衣笠祥雄 著 ベースボールマガジン社 2008年
地元の広島を離れて、かれこれ26年経つ。自分自身が一度、地元を離れたかったこともあり、今現在でも広島にいつか戻りたいという思いはほとんどない。未練がないと言っても過言ではない。しかし、22年間育った広島で、刷り込まれたものが幾つかある。その一つが「カープ」である。東京や京都に居住まいが変わっても、カープファンであることだけは辞められない。そのため、現在でもカープの勝ち負けに一喜一憂している私がいる。
そのカープの本拠地、広島市民球場が昨年12月をもって、閉鎖された。知っている方も多いと思うが、この市民球場は、原爆ドームの道路を挟んで、真向かいにある。原爆ドームが「平和」の、市民球場は「復興」のシンボルとしてこれまで、広島に位置づいていた。私も市民球場には幼い頃から父親に連れられてよく行っていた。関西で言うなれば、甲子園球場と同じような重みがあると思う。その市民球場の閉鎖を聞いたとき、さすがに広島に未練のない私でも、最後の球場をこの目でみたいと正直思った。残念なことにその願いは叶わなかったが、その代わり、この時期、市民球場やカープに関する報道がこれまでになく放送されたり、出版物が出されたりしたので、私はそれを食い入るように観た。その一つが、本書である。
これは、元広島東洋カープの三塁手、衣笠祥雄さんが、自分自身の選手時代を振り返りながら、広島市民球場の歴史を重ね合わせて綴ったものである。球団創立以来、Aクラス入りをしたことのないカープに、当時6、7チームから入団の誘いがあった著者がなぜ、カープに入団したかというエピソードは、今の・・・いや、選手時代を観ていた私ですら、想像しなかった物語がそこにあった。しかし、それは美談とはまったくかけ離れたもので、かえって著者が後に、連続試合出場世界記録を成し遂げてしまう大物ぶりが見え隠れする。
しかし、なんと言っても、本書の最大の魅力は、著者をはじめとするカープ関係者及び、広島県人だけでなく、多く人たちがこの球場に対する熱い思いがあることを記している点であろう。例えば、著者が世界記録を樹立する予定となった1986年6月は、広島市民球場での試合が多く組まれていたらしい。これは、著者が世界記録をただ樹立すればいいというものではなく、あの市民球場で樹立することに意味があるのだと、誰もが認識していたためであろうと思われる。それだけ、広島以外の人たちからもこの球場がどのような歴史を持ち、それを認識し、愛されていたのか、今更ながらに気付かされる。
今年から市民球場は、場所を移して新しい歴史を築くこととなった。なかなか戻ることのない広島であるが、近い未来新しい球場に是非行ってみたいと思っている。
実は、著者の衣笠祥雄さん、「広島」のイメージが強くなっているが、京都府出身で平安高校(現:龍谷大学付属平安高校)の卒業生である。その平安高校時代に2度も甲子園に出場しており、京都が誇れる人物でもある。・・・と追記しておくと、阪神ファンの多い関西人の方々にも本書を手にしてもらえるのではなかろうか。
2009年6月その1
『工学部・水柿助教授の日常』(一般書)
森博嗣 著 幻冬舎文庫 2004年
ミステリーファンの友人達から、よく薦められるのが森博嗣さんの作品。物理学や建築学など、科学を駆使したトリックが満載で確かにミステリーファンを魅了してくれる。しかし、彼の作品の場合、じっくり熟読しないことには、内容についていけなくなる可能性が少なくない。それが唯一の弱点と言えば弱点。そんなわけで、多忙を極める私は現在彼のミステリーを熟読するゆとりがまったくないため、彼の作品からかなり遠ざかっていた。そんな時、教えて貰ったのが本書。ミステリーではまったくなく、タイトル通り「水柿助教授の日常」を連ねているだけ。
と書けば、何も面白みもないのだが、著者曰く「小説である」と何度も本文では出てくるのだが、どうも「小説」ではなく「ノンフィクション」のようである。読めば一目瞭然、水柿助教授が著者である「森博嗣」であることが分かる(しかし、それでも著者は「小説である」と何度も本書で、力説するのである)。そして、本書の面白さは、とにかく言い回しが回りくどいこと。どれだけ回りくどいかと言うと、一口には語れないので、以下からの私のレビューをそのまま、真似して書いてみる。
まず、とにかく「( )」の記述が多い。しかも、「( )」内の文章が長い(と書くと、普通の人なら、どれくらいを想像するだろうか。おそらく、数行くらいが想像の限界でないかと思われる。が、そんなのは朝飯前で、ページの半分以上を( )の文章であるなんてことはざらである。ここまで書くだけですでに息切れ。ぜいぜい)。と書いている間に、何を書いていたかすっかり忘れたので、再度とりあえず、前の文書を書いて、場をつなげておく。・・・ということで、「( )」内の文書が長い。
それから、とにかく話が飛びまくる。どれだけ飛ぶかというと、地球を一周してもまだ、足りないくらい、飛びまくって着地地点が分からなくなる位である(これに、更に長い「( )」書きを加えると支離滅裂になるので、今回は単文で済ましておく)。
そう言えば、長いと言えば、各項目のタイトルも長い。いちばん、短いもので、第一話の「ブルマもハンバーガも居酒屋梅干しで消えた鞄と博士たち」。と書いたからには、いちばん長いものも記述しておかなければいけないだろうと思うので、ついでに書いておく。それが、第三話の「試験にまつわる封印その他もろもろを今さら蒸し返す行為の意義に関する事例報告および考察(「これでも小説か」の疑問を抱えつつ)」。と言うことは、他のものは、この一話と三話の間の長さであることは、誰もが推測できることであろう。さて、このタイトルで、内容が理解できるのだろうか。という疑問が浮かんでくるが、それは読んでからのお楽しみで、結構着地してみると、タイトルの意とするところが、はっきりするから、やはり森博嗣は天才である(「やはり」と書いてみたが、このレビューでこれまでに「天才」と書いた文はない。ただ、いつも私が思っていることが、つい出ただけだ)。
・・・と以上のような形で、森博嗣さんの、いや「水柿助教授」の日常が延々と書かれているのである。それでも、思いっきり森博嗣ワールドにはまってしまうので、「やはり」森博嗣さんは天才だろうと思う。ミステリーとは異なる森博嗣ワールドを堪能していただきたい。続編『工学部・水柿助教授の逡巡』『工学部・水柿助教授の解脱』も出版されている。
2009年5月その2
『日本にノーベル賞が来る理由』(一般書)
伊東乾 著 朝日新聞出版(朝日新書) 2008年
昨年の10月に4人の日本人(現在米国籍の南部博士も含む)がノーベル賞を同時に受賞したのは記憶に新しい。その当時(現在もだが)それに伴って報道されたのは、「日本の基礎研究が認められた」ということが強調され、後は、受賞者の研究内容についてのみの言及が多かったように思える。しかし、なぜ、その基礎研究が認められたのかという、「本当のところは実は報道されていない」というのが、本書である。
少なからず「ノーベル賞」というものは、純粋に世界レベルですぐれた業績を行った人に対して贈る賞だと思っていたのは、私だけではないだろう。しかし、実際には、そこには、「ノーベル賞」財団による演出・企画があり、それに該当する人が受賞するということである。つまり、その年の財団がどのように「ノーベル賞」をどのように演出するかによって、受賞する対象者が決まってくるというわけである。そのため、「ノーベル賞」を受賞していない人の中にも多くのすぐれた科学者がいるということである。
そして、その演出・企画の大きな柱となっているのが、あの第二次世界大戦での、日本への原爆投下であり、核開発ということを本書では記している。本書によると、昭和24年、湯川博士がノーベル物理学賞を受賞した背景には、ノーベル物理学賞選考委員でもある「マンハッタン計画」に責任を持った多くの物理学者が明確な「後悔」と「謝罪」の念が込められているそうである。このことは、明確な公文書にはなっていないそうだが、この選考委員であった科学者や「マンハッタン計画」に携わった科学者達が、後に来日するたびに語っていた話であるということも付け加えられている。それ以降、「原爆投下」や「核開発」がパワーバランスとなり、日本人にノーベル賞が来るというわけである。
しかし、誤解して欲しくないのは、その同情性でノーベル賞がやってくるわけではない。日本人の科学者がやはり世界水準の研究や技術を持っているからであり、更に「ノーベル賞」財団や他国の科学者達は、唯一「原爆投下」を体験してしまった日本が世界平和に対してリーダーシップを取ってくれることを期待しての受賞なのである。その期待度は、日本人が想像をしているよりも遥かに高い値である。
ただ、残念なことに、その日本の国を背負っている政府がまったくそれに気が付いておらず、現在では、今後リーダーシップを取っていくような人材を育てていないのが現状である。そして、「ノーベル賞」を日本人が受賞すると、ただ単にお祭り騒ぎで終わってしまうことに、著者はとても危惧している。
本書を読むと世界の科学者達がどれだけ、日本人に期待をしているかヒシヒシと伝わる。それは世界最高レベルの技術を持っていながら、更に平和を語れる唯一の国として、実際にそこにすんでいる日本人以上にそのことに気が付いているからである。そのような視線で日本が見られていることを本書より学ぶ必要があるかもしれない。
2009年5月その1
『最後のパレード〜ディズニーランドで本当にあった心温まる話〜』(一般書)
中村克 著 サンクチュアリ出版 2009年3月10日
盗作問題で現在回収中の本書。回収中とは言っても、出版されてからまだ2ヶ月しかたっていないのに、すでに40万部弱売れてしまっている驚異の本。しかしながら、私自身はあまり興味がなかったのであるが、ひょっこり娘が学校の図書室で借りてきた。娘が言うには、「クラスの友達が『とっても泣けた』と言うので、借りてみた」とのこと。そして、娘の読後の感想を聞いてみると、「どこが『泣けるのだか・・・』」という返事。この反応で思わず思い浮かべたのが、ここ数年とてもブレイクしている「携帯小説」。この「携帯小説」は、「号泣する」子とまったく「クール」に読んでしまう子が明確に分かれる典型的な本の構成となっている。そして、本書。娘のお友達はとにかく「泣けた」という。その反面、娘はとても「クール」。しかも、読了までの所要時間、わずか30分余り。これは、もしや・・・と思い、思わず私も手にしてみた。
予想通り、まったく構成が「携帯小説」。ディズニーランド内での出来事を各1〜3ページごとにまとめた短編なのだが、このそれぞれの出来事が「いかにも」なのだ。それこそ人の「死」を題材にした「お涙頂戴物語」となっている。「人が亡くなれば感動が取れる」という「携帯小説」ばりの構成となってしまっていた。確かに今「携帯小説」は発行部数を伸ばしている。それは、なかなか本を手にすることのない人向け用の「お涙頂戴物語」になっているところが大きいと私は思っている。それをそのまま創作ではないにしろ、その部分だけを強調してしまったところが、盗作という問題にまでに発展してしまったのではないかと私は思っている。「お涙頂戴物語」に限定せず、ディズニーランド内で起こった様々な出来事を拾い集めていたら、もっと素敵な本になっていたであろう。
しかしである。本書をこのように私は批判したが、これはあくまでも本の構成の仕方についてである。本書に書かれてあるディズニーランドのキャスト(従業員)の対応は事実であると思う。その点については、非難すべきではなく、見習うところが存分にある。というのも、私も過去に10回を超えるほど、このディズニーランドに行っているが、ここで嫌な思いをしたことがない。それどころか、本書で語られているような大きな出来事はなかったにしろ、いつも、キャストの対応に心温まる思いでその時間を過ごさせて貰っている。実際にやはりディズニーランドはすごいのである。人の夢や希望を与える魔法の国であることは周知の事実なのである。<br> </p>
だからこそ、そのキャスト達やディズニーランドそのものが、この盗作問題で後ろ指を指されることがあってはいけないのである。本書は、実話を掲載することの責任と重みを感じる1冊となってしまったようである。<br> </p> <hr> <p></p> <p>2009年4月その2<br> <b><font color="#660033">『早稲田と慶応〜名門私大の栄光と影〜』(一般書)<br> </font></b>橘木俊詔 著 講談社現代新書 2008年<br> <br> 私は中学生の時から大学に至るまで完全なる偏差値教育を受けてきた。今でこそ、各大学では、春から夏にかけて、「オープンキャンパス」というものが開催され、受験生がその大学を見て、あたかも自分自身で大学を「選ぶ」ような雰囲気にはなってきたが、私の時代にはそんなものはまったくなく、あくまでも基準は「偏差値」のみであった。そのため、「早稲田」「慶応」と言えば、私立の中では日本最高峰の大学というイメージである(イメージというよりはこれは明らかに偏差値だけで言えば事実なのであるが)。それプラス、それぞれの大学で知っていることと言えば、「早稲田」は「無骨」、そして「慶応」は「慶応ボーイ」という言葉があるように(今や死語か?)「スマート」という印象だろうか。その私学両雄のバックグランドを記したのが、本書である。<br> </p> <p>さて、この2校、偏差値では最高峰であるが、果たして大学そのものはどうなのだろうか。実はドロドロとした内幕があるのではないかと期待して読んだのであるが、期待に反して、やはり質も最高峰のようであった。それは、「早稲田」「慶応」のみならず、私学の場合、その創設時の理念が土台となっているからである。その背景について「早稲田」の場合、創設者大隈重信、そして、「慶応」では福沢諭吉の半生を示しながら、この両校がなぜ今日まで私学の最高峰に君臨し続けているのかということが示されていた。<br> </p> <p>もともと、日本の教育は私学の方が先に創設されている。それが明治以降官学優先の時代を迎え、「早稲田」「慶応」をはじめとする私学は苦境の時代を迎える。しかし、それぞれの理念のもと、その苦境を乗り越えていくのであるが、その乗り越え方が「早稲田」「慶応」が私学最高峰として揺るぎないものになった一つのきっかけでもあったようである。また、前述したように、「早稲田」「慶応」の今のイメージも創設時からのもので、その周辺について書かれている内容も興味深い。
</p> <p>もちろん、サブタイトルにもなっているように、本書は両校の「影」の部分にもきちんと光を当てている。「早稲田」の場合、学園自体が現在巨大化しており、そのため、学園全体にまとまりがなくなったり、少子化の影響で経営が立ち行かなくなるのではないかということ。また、「慶応」の場合、幼稚舎からの16年一貫教育を受ける子どもが多くいるため、階層固定化がどのような影響を与えていくかということを指摘している。<br> </p> <p>しかし、これは「早稲田」「慶応」のみに当てはまることではなく、大なり小なり、私学の抱える「影」の部分でもある。それを踏まえて今後の大学の在り方を本書は問いている。<br> </p> <hr>2009年4月その1<br> <font color="#660000"><b>『文芸誤報』(一般書)<br> </b></font>斉藤美奈子 著 朝日新聞出版 2008年<br> <br> いつも鋭い突っ込みでファンも多い斎藤美奈子の新刊。今回も思いっきりやられた。彼女のレビューを読むと、自分が書くレビューはこんなにもくどくて、もたもたしているのか、反省ばかりしてしまうのだが、読み終わる頃には、その反省すらどうでも良くなるほど、爽快感だけが残る。<br> その中で、今回ひっくり返りそうになったレビューがある。それは、ひこ・田中さんが書かれた『大人のための児童文学講座』(徳間書店 2005年4月)。これ、私がこの読書ノート(かつて「INOの読書ノート」と呼ばれていた頃:2006年5月)にレビューを書かせてもらったものと同じだったから。彼女のレビューを読むと、自分自身で書いていたにも関わらず、「そうよ、これが言いたかったのよ」と思わずうなってしまった。かつての自分のレビューを消去したい気分になる。<br> </p> <p>例えば、私も著者もレビュー内で『若草物語』を取り上げているのであるが、私の場合、『大人のための・・・』の文章を長く抜き出して、クドクドと、家族の在り方について指摘しているのであるが、著者は自らの言葉で、しかもわずか1行でそれを表現している。参考までにその文章をここに抜き出すと(と、先程、抜き出すことがくどいと書いたにも関わらず、反省無し)、<br> <font color="#660000">「『若草物語』は父親を戦地に追いやることで、元気な女の子の創出に成功した」(p312)。</font><br> そんなわけだから、私と同じ文字数位でありながら、『大人のための・・・』に紹介されている作品の中から、10作品も紹介している。ちなみに私はわずか4タイトル。<br> </p> <p>本書の紹介というよりは、あきらかに己の反省文になってしまったが、もう、正直、私のよりも、斎藤美奈子さんのレビューを読んで〜と絶叫してしまいたくなるのが、彼女の著書である。それでも、面白いことに、本書では、『大人のための・・・』以外に160余りの作品が紹介されているが、この中で、彼女のレビューと私のレビューが重なっているのは、他に『包帯クラブ』(天童荒太・著 ちくまプリマー新書 2006年:読書ノート2007年6月その1)のみである(ついでにこの時の私のレビューを読み返すと、なんて良い子ちゃんの文章なのだろうと思う)。これから読みとれるのは、世の中に出版されている本の数の多さ。もちろん、お互いにレビューにはしていない、読んではいるが・・・という本は数多くあり、その部分で重なるところがあるのかも知れないが、それは推測の域を出ることはない。<br> </p> <p>さて、先にも書いたように、今回は私の反省文となってしまったが、是非とも本書を手にして頂き、稚拙な私のレビューと比較しながら、更に紹介されている本の魅力を読みとって欲しいというのが本音でもある。
</p> <hr> <p>2009年3月その2<br> <font color="#660033"><b>『鴨川ホルモー』(一般書)<br> </b></font>万城目学 著 産業編集センター 2006年</p> <p><font color="#660033"><b>『鴨川六景』(一般書)</b></font><br> 万城目学 著 角川書店 2007年<br> </p> <p>『鴨川ホルモー』は、第4回ボイルドエッグズ新人賞受賞作であり、そして2作目となる『鹿男あをによし』で早々に直木賞候補、及びドラマ化。更に、著者は京都大学法学部卒業と話題がことかかさなかっただけあり、これら作品をすでに手にしている人も多いかと思う。しかし、書店で平積みになっていた、これら作品を手にしなかった私。理由はその時期を外してしまったというところが大きいわけだが、先日、尊敬している先輩から「京都に住んでいながらこれらを読んでいないなんて!」と叱咤され、遅ればせながら読む。<br>感想を一言で片づけるなら、「遅く読んでしまってごめんなさい」。実に「軽快で面白い」というありきたりな表現になってしまうのだが、これまで読んでいなかったのが、なんてもったいないと、正直思ってしまった。先輩の「京都に住みながら」という言葉が、今でもリフレインされてしまう。<br> </p> <p>と書けば、京都が舞台であることは分かるであろう。しかも、京都人でなくとも知っている地名が満載である。さらに、登場人物は、京都大学、京都産業大学、龍谷大学、立命館大学の学生の皆様。少しネタばらしになってしまうが、タイトルになっている「ホルモー」とは、この大学生達が行う競技である。この競技が京都市内全体を使って繰り広げられるのだ。しかし、この「ホルモー」そんじょそこらの競技ではない。更にネタをもう少しあかすと、「陰陽道」に関わってくる。さすが京都である。「陰陽道」をネタに出来るのは、やはり京都ならではのことであろう。しかも、現代をチャキチャキと生きる今の学生達である。そことの兼ね合いがとても上手く描かれているため、よけいに目が離せなくなってくる。主人公は京都大学の学生なのであるが、読み進めると、どこの学生にも肩入れしたくなってくるのが『鴨川ホルモー』である。しかし、あくまでも『鴨川ホルモー』は京都大学学生が中心であるところがちょっと悔しい。<br> </p> <p> ・・・という想いを払拭してくれるのが『鴨川六景』である。こちらは京都大学の学生だけでなく、他大学の学生達が主人公にもなっており、『鴨川ホルモー』で起こった出来事の前後左右には、更に複雑な動きがあったことを6つの短編で構成し、読者を楽しませてくれている。これがまた心憎く、より一層、『鴨川ホルモー』を際だたせているのである。<br> </p> <p>と、ここまで読んで、一つ疑問に思った人もいるのではないだろうか。なぜ、『鴨川ホルモー』に登場する学生達は、京都大学、京都産業大学、龍谷大学、立命館大学なのであろうかと。確かにこの4大学は、京都では「大学」という名の筆頭に来ることは間違いないであろう。しかし、西の私学の雄「同志社大学」が入っていないではないかと。京都ではやはり「同志社大学」抜きでは、語れないところがある。それは、私も『鴨川ホルモー』を読み始めた時は、そう思った。もっと言えば、作者は「同志社大学」が嫌い?しかし、読み進めるうちに、ある推測が湧いてきた。そして、『鴨川六景』でその答えが出ていた。なぜ、『鴨川ホルモー』には「同志社大学」の学生が「ホルモー」に参加していなかったか。それは是非、この2冊を読んで、自らの目で確かめてもらいたい。<br> </p> <p>蛇足ではあるが、京都の大学選びで今悩んでいる高校生。これを読んだら、少しは参考になるかも。いや、ならないかなぁ・・・。<br> </p> <p></p> <p></p> </blockquote> </blockquote> </blockquote> </blockquote> </blockquote> </blockquote> </blockquote> </blockquote> </body> </html>