震災の日7時30分頃、灘区の状況(Hi8ビデオによる撮影)
朝日が黒煙を赤く染めている
上の画像をクリックしますとVTRがWMPでご覧になれます
震災の教訓
震災当日、神戸市灘区の高台に住む私の家は幸いにも倒壊は免れましたが、各部屋の中の家具はめちゃくちゃになり足の踏み場も無い状態でした。 停電し家の中、外も真っ暗で何が何だか理解できない状態で、 一番先に思ったことは大坂、和歌山がこれだと全滅しているのでは、 神戸に住む我々にとって地震のない場所として認識されていた。 蝋燭をつけやっと携帯ラジオを見つけ出し情報を聞いた。 ラジオの情報からでも神戸が震源地であることは理解できなかった。 倒壊した家に多くの人がいたとは思えなかった。 6時半過ぎに夜があけ、灘区の南方向を見ると上の写真のようになっていたが、ラジオは全く情況を把握していない。 すなわち、 情報連絡が可能な被害の少ない所の情報しかない、 大きな余震がおこった、 やっとビデオカメラを取り出し、残っていた電池の分約5分間だけ撮影できた。 しかし、まだ神戸市の地震情報は皆無に等しかった。
1 停電すると電話、水道 ガスすべてが止まる。
2 飲み水、水洗便所の水の確保、 雨水をビニールパイプで浴槽まで引いた、 水の重たさをあらためて認識させられる。
3 震災後1日過ぎると行政に任さざるを得ないが、 初期の救急、救援はローカルの地域の情報伝達のシステムを確立する必要がある。 幸い倒壊を免れた人々に情報を与えたり、与えられたりする手段がなかった、 何も出来ないかもしれないが、何かができるかもしれない。 インターネットの普及で影を潜めているがアマチュア無線、特にモービル無線を活用すべき。
4 飲料用ポリバケツを常に準備すべき、 1時間2時間並んでやっと、やかん一杯の水をもらう人が多くいた。
5 この半世紀以上平和に慣れっこになっている我々、行政の危機管理意識は薄いが、平和文化を創った我々の精神は素晴らしいものがあり、 ボランティア、被災救済等は充分に発揮された。 はたして、関東のような人口交通過密都市ではどうなるだろう。 食料、 飲料水の確保は出来るのでしょうか。
![]() |
![]() |