お友だちのトルコ人の結婚式に出るため、妹さんとトルコへ飛んだ、
山田裕美さんの興味ある旅行記。


1.トルコ航空のショック・シートがへたっている!
2.空港でショック・缶コーラが160万リラ!
3.Wedding パート1・オンボロ超小型自動車で
4.Weddingパート2・世界中から集まった友人たち
5.カッパドキア・奇岩の中の地下都市
6.アンカラ若者スポット・ケバブの店
7.最終回・伝統のイスタンブール
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1.トルコ航空に乗って

 7月21日トルコ航空の直行便にて関空からイスタンブールまで飛んだのですが、まず驚いたのが機体について・・・

 シートはへたっているし、隣の妹の席はカバーがはずれて中身が飛び出しているし・・・何だか文句をいうのも悪い気がして、不満そうな妹の口を思わず塞いでしまいました。

 それから機内のアナウンス・・・
 「トイレは流れにくいのでシートカバーは流さないように」
っと言われてもじゃどうしたらいいの???
何となくこれからの困難が暗示されるアナウンスでした。

 飛び立つときも、少し待機時間があったのですが、「今この飛行機は1番前で待っているのでもう少しです。」みたいなアナウンスで、やっぱり競争の激しい地域の飛行機だから1番前で待ってるっていうことが最重要なんだと、妹と二人妙に納得してしまいました。

 機内の雰囲気は・・・
 とっても綺麗なスチュワーデスが一杯で、流石東洋と西洋の交わる不思議の国”トルコ”と感激したのですが、これが全く微笑まないのです。

 多分風習の違い
 日本人のように意味もなくむやみやたらには微笑まない、誇り高き民族なんだと、これもまた勝手に納得し・・ こうして私たちの勝手な思い込みによって”トルコ”への期待と興味が飛行機の中で大きく膨らんでいったのです。

 それでは今日はこのへんで・・おやすみなさい。     山田裕美

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2.空港から大学のゲストハウスへ

 私たちが初めてトルコに降り立ったのはイスタンブールのアタチュルク空港でした。空港は予想外に近代的で、行き交う人達もほとんど今まで利用した他の空港にいる人達と変わりませんでした。

 というわけで私たちは少し拍子抜けしたのですが、さて喉が渇いたのでジュースでも、とか、アンカラで待っていてくれる友人に電話を、ということになると事態は急変。

 クレジットカード、キャッシュの日本円、ドルのトラベラーズチェック、全て使用不可。電話は諦めるにしても、のどの渇きはどうしようもありません。 忘れようとすればするほどたまらなくなり、なるべく衛生的で、間違っても氷入りのフレッシュジュースなんか置いていない店を選んで値段を聞いてみてびっくり!!何と160万リラ。 ただの缶コーラですよ。 てっきりヒヤリングの間違いだと思って何度も聞き返してしまいました。

 後で聞いたことなのですが、トルコのインフレは凄まじく一年で貨幣価値は半分。 毎日上昇しているので一体日本円でいくらに相当するのか想像も出来ません。もちろん日本ではトルコリラの両替はおろか為替レートの情報さえ全くないのが現状です。

 何とか財布の隅に入っていたおつりのUSドルのお陰で元気を取り戻した私たちは一路アンカラへ・・・
 国内線は全く現地の人達の足という感じで、日本人は私たちだけ。子供はシートベルトもせずに走り回っているし、ラフな感じで少しおびえてしまいました。ただ子供が迷彩服と帽子を着ていたのには、やっぱり徴兵制のある国に来たのだなと実感させられました。

 そうこうするうちに私たちは最終目的地アンカラへ到着。
 アンカラはイスタンブールとは全く違う小さな小さな地方空港。到着が深夜だったこともあり、友人がもし迎えに来てくれなかったら途方にくれるしかないという状況でしたが、怪しい案内人にまとわりつかれながらも、何とか無事友人と会うことが出来ました。

 それから友人が予約してくれている大学のゲストハウスへ。
 初めてみるトルコの風景は荒涼として、何となくオーストラリアの郊外をドライブしている感じでした。ただしトルコの道路は街灯がない?? よくわからないのですが、とりあえず道が真っ暗なのです。 見えるのは対向車のヘッドライトと、月と銀河とライトアップされたモスクだけ。ロマンチックだけれどやっぱりここでも私たちはおびえていました。

次回は今回の旅行の目的だった結婚式のお話です。
それではまた・・・おやすみなさい。       山田裕美

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3.Wedding パート1・オンボロ超小型自動車で

 マラリアを恐れ、うるさい蚊と闘いながらも、旅の疲れからぐっすりと眠った私たちが目覚めて初めてみた風景は、抜けるような青空と眼下に広がる大きな湖、乾燥はしているけれど緑もある雄大な自然でした。本当に静かで素敵な風景の中、初めて食べた朝食は、山羊のチーズに豚肉の入っていないハムとチェリージュース。全てがいつものものとなーんか微妙に違うなあーっという感じでした。

 それからお金のない私たちは、気温45度という路上に駐車され灼熱地獄と化したオンボロ超小型自動車に押し込められ街まで両替に・・・
 初めて見るトルコの街は全てが建築中、埃まみれの砂漠の集落という感じ。多分アラブの国ってこういう感じなのでしょう。1日に5回モスクのミナレットという塔に付けられたスピーカーからコーランが流れてくるし、異国情緒満点です。

 これぞアラブ商人の店という感じの、見るからに怪しい貴金属店に連れていかれ、両替を試みたのですがやはり失敗!! 唯一ドイツ人の友人が持っていたマルクだけが成功でした。やはりドイツとのつながりって深いんだなあーって再確認してしまいました。街にはドイツナンバーのベンツが沢山走っているし、英語は通じないけれどドイツ語は通じるし・・・それにしても、円は強くてどこでも使えるなんていうのは日本人の錯覚なんではないかと思うくらい、トルコでは信用ありませんでした。まあ日本てどこ?というくらいの認知度しかないのでは仕方ありませんけれど・・・

   いよいよ午後はウェディングパート1へ出発。(パート1というのは次の日にパート2があるからです。)
 新郎新婦の説明によると、パート1はトルコ式でカジュアルなもので、どうやら私たちは新郎の家にいくらしい。そしてパート2は西洋式で、私たちの滞在しているゲストハウスの階下にある宴会場で開かれフォーマルなものらしい。これくらいしか情報のない中、迎えに来たのはまたしてもエアコンのないすごい昔の幼稚園のお迎えバスのようなミニバスでした。

 どこへ連れて行かれるか全くわからない出席者の外国人を乗せたミニバスは、何とか新郎の家へ無事到着! 新郎は京都大学と東海村あわせて4年、日本で研究した物理学者で、現在ドイツの大学の助教授をしているTurgutさん。新婦は、親が決めたお見合い後、数回会っただけで仕事を辞めて結婚することになった医師のTulay。外国からの出席者はTurgutの仕事仲間の日本人、フランス人、ドイツ人と、遊び仲間の私と妹の計12人です。

 Turgutの家は何とビルディング。それもNo.3とか書いてあり、あまりの住宅事情の違いに日本人はみなびっくり!!! トルコでは家族や親戚の絆が強く、皆でお金を出し合い大きなビルを建てて、その中にいくつもメゾネット形式の家を作るのだそうです。日本でいうマンションを家族で作ってしまうようなものです。とは言っても貧富の差のとても大きな国なのでいろいろと違いはあるのでしょうが・・・

 到着と同時に私たちが見たものは、初めて見る日本人への興味に目を輝かせ彼の自宅前に集まった近所の人や親戚の人、そしてお祝いの民族音楽を演奏する怪しげな笛と太鼓の楽団でした。 けたたましい音楽と歓声の中、私たち一行はビルの一室のリビングルームへ。リビングルームへ入ると早速トルコのチャイグラスに入ったチャイが振舞われ、喜んでいただいていると、何故かチャイを運んできた人の様子がおかしい。 何とその人はチャイ屋さんで、他人の家にまで入ってきてその家のお客相手にちゃっかりと商売をしていたのです。後で聞いたところによると、あの楽団も商売で、音楽が終わると適当にチップを渡さなければいけないのだとか・・

   このチップという制度が私たちには難しい。 まず、タイミングと値段。いくら外国生活の多い学者の皆さんといってもやはり日本人。陰でいくらくらいにすると相談したり、2人分です、と断って渡したり、現地の人にはとても変わった民族に映ったようです。

 その後、伝統的な家庭料理の昼食をいただき、ダンスタイムとの合図で外に出てみるとまたまたびっくり。 人だかりが倍増しているのです。 例の怪しげな楽団が熱狂的な民族音楽を奏でる中、輪をつくって皆でくるくると回るのです。 まるでフォークダンスなのですが、これが激しい!! 暑さからビールなんかを飲んでいた人には目がまわって酔いもまわって大変だったようです。

 そして再度ミニバスにて郊外の団地の中の地下集会場のようなホールへ。 殺風景な会場の中は例によってアタチュルクの写真とトルコの国旗。以前結婚式で台湾に行った時とどこか似ているような気がしました。 当日の出席者は約250人と聞いていたのですが、それくらいは余裕で入れる巨大なホールです。 ただし例のごとくエアコンはありません。 式の方はやっと新婦も登場してトルコ式キャンドルサービス、新郎新婦にお金を安全ピンでつけていくお祝いの儀式、海草で作った染料を手や顔につけて幸せを祈る儀式など、とても興味深い楽しいものでした。 もちろんパワーアップしたダンスや民族楽器のおじさんの演奏も続きます.

     全く式次第のわからない外国人グループの私たちも、誘われるがままにダンスをしたり、全身鱗のような銀色に光り輝く衣装をきたパワフルな女性歌手のステージを見たりと、とても楽しんではいたのですが、11時も過ぎてくると空腹と喉の渇きは頂点に達し、皆無口になっていました。 飲み物も取らずあの暑い中、スカーフに長袖、長ズボンで踊りまわり、お酒もないのにあれだけ陽気に楽しめるとはトルコ人のパワーには驚きました。

 11時も過ぎたころ、待望の飲み物が配られました。皆喜んで口にしたのですが、何とそれは冷えていないブリックパックのアプリコットジュース。飲めば飲むほど喉が渇くという代物です。 一緒に配られたスナックも地元のミックスナッツで、空腹に耐えられない人達は食べていたようですが、余計に喉が渇いて苦しんでいました。それを涼しい顔で美味しそうに食べているのですから、やはり恐るべしトルコの民です。

 これはエンドレスと覚悟を決めた頃、式の方は突然お開きになり皆一斉に帰っていってしまいました。 台湾の時もそうだったのですが、こういう時の開きかたって日本が一番名残惜しそうな雰囲気がするのですが、気のせいでしょうか? そう言えば二次会っていうのは外国では聞かないような・・・ いろいろと疑問がわいてきたのですが、これからもっといろいろと出席して研究してみようと思います。

 この日は心底水が飲みたいと思った日でした。日本にいればお茶だのジュースなどいろいろ贅沢を言っていますが、本当に喉が渇いた時は水が欲しくなるんですね。水道水がそのまま飲め、水の豊富な日本は本当に恵まれています。

   そしてもう一つ、着付けくらいかじっておけばよかったなあっと後悔した日でした。 実はTurgutさんが西陣で、姪の女の子に着物を買ってあげていて、彼女は私に着物を着せてもらおうとずーっと楽しみに待っていたのだそうです。もちろん私は着付けなどしたこともありません。 当然着たことはありますが、ただ突っ立っているだけで、何の知識もありません.そんなことを言うと馬杉先生が悲しむだろうけど、よれよれになった豪華な京友禅を着た得意げな美少女が、皆のアイドルになっていろいろな人と写真に収まっているのを見た時は、思わずその場を逃げ出したくなってしまいました。

 いろいろと面白いことがあって長くなってしまいました。
 報告はまだ続きますので次回も飽きずにお付き合いください。

山田裕美

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4.Weddingパート2・世界中から集まった友人たち

 トルコにて・・・ 明けて日曜日。 前日同様素晴らしい天気ですが、相変わらず暑い。
  今日の午後はTurgutのために世界中から集まった友人たちのための観光ツアーがあり、夜は ウエディングNo.2が予定されています。

 観光ツアーの方は、Turgutの大学時代の恩師でアンカラ大学の教授の方のガイドで、休館中の施設なんかも見せていただいたり、とても充実していました。 ただし歴史の話が多かったので全く予備知識のない私たちにはちんぷんかんぷんでした。やっぱりせっかく旅行するのなら事前の学習も必須ですよね。少し後悔しました. ランチは教授の案内で高級そうなレストランへ。 皆、昨日の苦い経験からまた夕食にありつけないことを心配して大変な食欲です. にもかかわらずそこはケバブの専門店で、何かこだわりの店だったようでメニューは一つ、その上、皆がずーっと(昨晩から)待ちに待っていたビールなどアルコールの全く置いていない店だったのです。

 気温40度を超える中をエアコンのないミニバスで観光してきた私たちには、コーラで乾杯というのは結構寂しいものがありました。私はとうとうというか・・この有名店のケバブを食べた途端お腹の調子がおかしくなって・・・
 その後の観光はぐったりという感じで散々でした。 実は旅行前から少し風邪気味で・・・ でも旅行ではゆっくりできるからと甘く見ていたのですが、今回の旅行はそんなに甘いものではなく・・・ 暑さと睡眠不足、油濃い食事とストレスという過酷な条件下でとうとうダウンです。 事実その後の観光地の記憶はほとんど残っていません. とても残念です.

   ゲストハウスに戻り暫しの休息後、いよいよウエディングNo.2へ・・・ その頃までには少し症状の改善した私も皆と一緒に会場へ。
 今日のウエディングは皆ドレスアップでのフルコースのサービス付の宴会です.会場に入って皿の沢山並んだテーブルと入り口に並んだサービススタッフの列を見た時の日本人一行のほっとした表情は印象的でした。 飲み物もビールはないらしく、少し諦めの雰囲気が漂ったのですが、目ざとくワインのボトルがディスプレイされていたのを見つけた人がいて、身振り手振りで、トルコ語ではワインのことを「シャラップ」というのだということを発見してからは、あちらでもこちらでも「シャラップ」が大人気だったことはいうまでもありません。多分その場にいいたトルコの人はきっと「なんて日本人はワインが好きなんだ」と思ったに違いありません.やっぱり単語くらいも勉強していかなければいけませんね・・・

 宴会の方は新郎新婦のチークダンスから始まり、完全に西洋風のパーティでした。 音楽もよく知っているものだったし・・・ ただしそれにあわせて皆で社交ダンスを始めてしまうのには驚きました。 よほど踊るのが好きな人達だなーっと・・・

 私たち外国人連合軍は、フランス代表のピエールがシャンソンを。 これは流石でした。   私たち日本グループは密かに練習した「瀬戸の花嫁」の合唱とジェンカ?というフォークダンスを披露しました.これは恥ずかしかったけれど結構トルコではうけて好評だったので、それに気を良くして皆はりきってアンコールにまでこたえてしまいました。多分それを見たトルコの人達は日本人は陽気で楽しい乗りやすい人達だと思ったことでしょう。

 トルコ風と西洋風、二日間に渡りいろいろな趣向で楽しませてくれたTurgutのウェディングはこうして終了しました。

 今回の旅行の主目的はこのように無事終了したのですが、まだ観光編は続きますので気長に待っていて下さい。

山田裕美

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