太平洋戦争末期に軍の命令で敷設された路線。熊谷=東武小泉線の西小泉間が計画された。1943年第一期として熊谷=妻沼間10.1kmが開業。その後終戦を迎え、新小泉まで開通しなかった。
妻沼から先の利根川には橋脚部分が1979年の撤去まで残っていた。開業来赤字路線であり、地元自治体からの協力も得られず、結局1983年6月1日廃線。
太平洋戦争末期に軍の命令で敷設された路線。熊谷=東武小泉線の西小泉間が計画された。1943年第一期として熊谷=妻沼間10.1kmが開業。その後終戦を迎え、新小泉まで開通しなかった。
妻沼から先の利根川には橋脚部分が1979年の撤去まで残っていた。開業来赤字路線であり、地元自治体からの協力も得られず、結局1983年6月1日廃線。
秩父鉄道に間借りしていた熊谷駅。
右の高架はこの日開業した上越新幹線。
上熊谷駅 は秩父鉄道との共用駅。。
右は高崎線。
熊谷=上熊谷間
1982.11のダイヤ。1982.11時刻表より
大幡=上熊谷間
妻沼駅から利根川方面に伸びる築堤。
大幡=妻沼。1954年導入のキハ2000は熊谷=妻沼間を17分で快走。そのスタイルから
「特急カメ号」と呼ばれ親しまれていた。その後「カメ号」になった。ラッシュ時は2両編成。以外は単行。運行2両と予備車両で全3両。
キハ3000の運転席。
1956年まで使われていたSLに使用の給水塔。
好ましい駅舎。
1943年12月6日開業。1983年6月1日廃止。
発車時刻が近づくと人々が集まってくる。