米教育改革法成立

1月9日付きの新聞に “ブッシュ大統領は8日、内政上の重要課題と位置付けていた教育改革法案に署名、同法が正式に成立した”
と報じている。  この法律は全米の公立校の学力水準の向上を目指し、小学3年から中学2年までの生徒を対象に英語と算数の実力
テストを毎年実施し、成績の悪い学校には予算を投入して対策を講じるが6年たっても改善しない場合は、教職員の入れ替えなどの措置を取る。  公教育に競争原理と結果責任を導入する抜本的改革といえ、共和党、民主党を問わず超党派による議案が昨年末議会を通過した。

一方わが国は本年4月から “ゆとり教育” の新学習指導要領の総仕上げを目指して、学習内容の3割削減、完全週休2日制に踏み切る。  現在でさえ大学生の学力低下が叫ばれ、小学生の分数問題さえ解けない低学力の大学生が多数存在し、理系の大学の中には学生の学力不足を補うため、高校の教育課程の補習を行っているところもあるという。 この上更なる教育内容の大幅カットは、亡国的思考で正気の沙汰とは思えない。
そもそも “ゆとり教育” なるものは1970年代校内暴力、不登校、いじめ などの教育荒廃問題が発生したためその反省から、その原因を詰め込み主義に求め、学力だけでなく人間性や、社会性等、心をはぐくむ教育も必要である。 そのためには勉強だけでなく “ゆとり” のなかで子供たちに生きる力を育てることもまた大切である。 ということから始まった。 それはそれで納得できる。
しかし問題は、いつのころからか学校教育の基本である学力向上、充実という本来の目標が片隅に追いやられ、もっと ゆとり をという“ゆとり教育” が教育の目的のようにいわれだしたことである。
そして “ゆとり” のためには本来教えるべき教育内容を大幅にカットしても当然である、という論理が展開されだした。 今教育界では
学習内容の充実とか、学力水準の向上とか言う言葉は禁句になっている。 受験勉強、偏差値、学歴などの言葉も死語に等しい。
要するに、学校は学力を身につけるための勉強の場であるという当然のことが見失われつつある。

現在わが国は未曾有の経済的危機に直面している。 今後も景気は悪化はしても立ち直る兆しはまったくない。 こんな状況の中でわが国の将来を託すべき子供の学力水準を3割も削減してよいものであろうか。  “ゆとり教育”はそれに匹敵するほど価値のあるものであろうか。 わが国の資源は人材しかない。  これを生かすには知的水準の向上しかない。  米国を始め英国、ユーロ諸国も知力向上に必死の努力を傾けている。 そんな中で不況の真っ只中にあるわが国だけが学力の大幅削減に突き進む。 まさに狂気の沙汰としか言いようがない。

それともう一点疑問に思われるのは、そもそも教育指導要領というのは何かということ。  法律なのか、政令なのかそれとも単なる行政官庁の行政指導なのか。 どうも形式から見ると法律や政令であるとは思えない。  もし行政指導の類であるならば、将来の国の命運を左右する教育内容の削減というような大問題を、一行政官庁である文部科学省の裁量で決定してよいのか。  大いにに疑問が残るところである。

バックナンバーに戻る

トップページに戻る