この10年

栄枯盛衰は世の習いというが、現在の中国を見ていると数10年前の日本の姿を思い出す。  当時のわが国は貧しかった。 しかし国民は勤勉であり意欲があった。    池田首相の所得倍増、田中首相の列島改造等今となっては懐かしい景気のいい経済政策が生まれ、国民の所得は倍増、倍増を繰り返し国も豊かになった。   国力も徐々に充実し、1980年代後半には世界屈指の経常黒字国、外貨準備も世界最高、世界一の債権大国にのし上がり、ODA(政府開発援助)でも最大の援助国であり、技術研究開発の分野でも世界最高水準。    押しも押されもせぬ経済大国として、自他共に認められる存在となった。

さすがの米国もこのままでは日本に追い抜かれるという危機感から、競争力回復法案を成立させ国を挙げて国力の回復に力を注いだ。
当時の日本は日の出の勢いであり、ニューヨークの一等地のビルを次々に買収し、わが国の金融機関も続々海外進出を果たし現地で貸出競争を展開、極端な低金利を提示して現地金融機関の取引先を次々に獲得していった。   当時の日本の金融機関の競争力は圧倒的であり、これに恐れをなした外銀の働きかけによりBIS規制が実施されたとうわさされるほどであった。

一方の米国は不動産不況に苦しみ、SLの倒産多発、巨額の財政赤字を抱えて、一時は国債のデフォルト(債務不履行)寸前に追い込まれる、という危機にも直面した。   この危機を国家の総力をあげて乗り切った米国は、その後10年を越える好況を謳歌し、一時はこのまま好況がずっと継続するという、ニューエコノミー論が唱えられるほど好況が続いた。    巨額の財政赤字も好況に伴う税収の増加から、単年度では財政黒字に転換するほど回復し、逆にこの黒字を使って本年度から個人消費を刺激するため、戻し税が実施されることとなった。

80年代後半が絶頂期であった日本は、株、不動産のバブル崩壊で経済が壊滅的打撃を受け、その後出る内閣も、出る内閣も景気回復、経済再建を叫びながら景気は一向に回復せず、現在も景況悪化進行中である。  この間に景気対策のため赤字国債増発が続き、いまや財政は危機的状況にある。

現在政府部門、企業部門とも財政は逼迫し、唯一頼りにされているのは個人金融資産1400兆円といわれている家計部門だけである。
この10年、日本は進歩どころか衰退の道をたどってきた。  技術研究開発の分野においても他国の進歩は目覚しく、いまやわが国が世界最高水準と誇れる分野がいくつあるか。

人件費だけが高くて、競争力を失ったわが国の前途は多難である。

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