19999(平成11)友人の誘いで北インドへ出かけることなった。

 

さかのぼって、私が10代の終りごろ、

 

文化服装学院 でデザインの授業の時のことだった。

 

デザインの中田先生が、

 

「デザインには、シンメトリーとアシメトリーがあります。
シンメトリーの代表的な建造物に,
インドのタージ、マハール寺院があり、
この建物は完全なデザインのものです 。

 

そういいながら一枚の写真を見せて下さいました。

 

なんて美しい建物だろうと

 

心の奥にしまっていたのだけど,ずーと憧れていたのです。

 

「私もそう願えば見に行くことが可能なのだ!」と、

 

まだ夫の母の介護中だったのに、

夫や息子夫婦の協力 のお陰で、出かけることに決めたのです。

その頃、丁度山崎豊子著の 

 

沈まぬ太陽を読んでいた私は、パキスタンの話からインドを重ね合わせ、

 

とてもナーバスになっていたのか,お腹の調子も整わず、だんだん不安になりました。

 

海外旅行の経験は何度かあったの だけど、こんなに不安になったのは初めてで、

 

飛行機の中からお腹が気になって機内食も食べられず、

 

不安な気持ちを抱えたまま空港(デリー)に降り立ちました。

 

 夜9時ごろのデリーには、まだ人がいっぱいで、

 

正直なところ「私はなんというところに来てしまったのだろう」と言うのが実感でした。

 

(インドの方たちごめんなさい)

 

 

北インドについては、平成11年9月に私が出かけたときの資料なので、

現時点のことは、わかりません。その辺、ご了承お願いします。                                   Yoshino

 

今まで目にしたことのない雰囲気の中興奮状態で動きながら

そしてフマユーンの御廟の歴史などを聞きながら、

私のお腹は助けを求めている。

 やっと説明が終り、外へ出た。お腹の調子は緊急だ。

”おかあちゃん 助けて!! トイレは何処?”

1年ほど前に夭逝した母におもわずたすけをもとめる。

 不思議なことに半泣きの私の目の前にトイレがあった。

でもなんと! 

その前には屈強な男性5・6人が ”トイレここ”  と呼び込んでいる。

どうしょう・・・

丁度添乗員さんの姿が見え、行ってもいいですか?と訊ねると、

トイレは見つけた時に行ってください。との事。

何でもあまり無いらしい。 私はすっ飛んで入った。

それは始めて目にするトイレで、薄べったく、

その横に水がためてある。あとでその水をひしゃくで汲んで洗うらしい。

 でてきたとき、チップの金額でもめている人もいたが、

私は有難くて、さっさと渡してきた。

50円くらいだったろうか。この人たちはトイレを教え、

そのチップで生計を立てているそうだ。

 

 

動く車中から

いろんな場面でサリーを多く見た。色は美しく自然の中で映えた。

でも畑の中のサリーは、きっとすそがぼろぼろ?。

貧しげなインドの団体の観光客たちのサリーのすそは、

決まってすそがほつれていた。

裕福そうな観光客のサリーは、シルクで美しく、優雅だった。

おでこの石飾りもガイドさんに聞くと、

おしゃれの為のもので宗教には関係ないという。

大きな大理石の加工工房で作業する人の手元を覗いていたら、

突然私のおでこに石を張り、チップを要求された。

おでこに張られた飾りの石は、

外れて消えた。

 

さようなら。

帰りのバスの中から手を振ると、

ニコニコ手を振ってくれた通りすがりのインドの人。

いろいろ感慨深い旅行だったけど、

最後にこんないい笑顔に出会えたこと、感謝します有難う。

        

            By Yoshino  平成11年9月