童 話 直子さんの嬉しかった日
長い長い就職活動で直子さんにもやっとチャンスがやってきました。今度の会社の面接試験は
決められたテーマをレポートし、それを面接官の前で読めばいいのです。
直子さんは文章を書くことは得意で、書いたものを読むのは、あがり症の直子さんでも大丈夫です。
 試験の当日、晴れ晴れとした気分で家を出ました。電車の中でも自然と笑みがこぼれています。
最寄りの駅から十分位歩くと会社のビルが見えてきました。随分早く着きそうです。交差点で信号待ちを
しているとコツンコツンと音がします。直子さんは何だろうと音のするほうを見ました。白い杖を持った
青年が行く手の障害物にうろうろしています。そばを通る人は皆見て見ぬふりです。
直子さんは青年に近寄って「ここは駐車場の中ですが・・・。」
「間違ったかなぁ・・・」と青年は困った様子「どちらに行かれるのですか?
青年は「ほがらか園へ行きたいのですが・・・」と頭を掻きながら言いました。直子さんにとってこの会社は
三度目の来社でほがらか園に見覚えがありました。「ご案内します。」と言うと「すみません。」と青年は
申しわけなさそうにしました。直子さんは青年の腕をそっと持ち、ゆっくりと歩きました。
 青年の名前は青木さんです。青木さんはマッサージ師の資格を取ったばかりで、
今日は出張マッサージの初仕事の日だったのです。緊張していたのか点字ブロックに沿って来たのが、
それてしまったのでした。  
二人は、話をしながらほがらか園に向かいました。直子さんは事務所の小窓を開けて「ごめんくださーい。」
と声をかけると奥から「はあーい。」と女の人の声が返ってきました。
青木さんにスリッパを出して「じゃあ、私は行きます。」青木さんは「ありがとうございました。
面接頑張ってください。」と言ってくれました。「はい」と言った直子さんの頬は、ほんのり赤くなりました。
腕時計を見るとたいへんです。面接の時間が迫っています。直子さんは心の中で間に会いますように・・・
と祈りながら力いっぱい走りました。かろうじて間に合いました。
受付の女子社員さんは最後の一人の直子さんにほっとしたようでした。名前を呼ばれるまで控え室で
待つように言われて席につくと汗がどっと出てきました。ハンカチを出そうとした時にレポートを入れていた
封筒がないことに気がつきました。ほがらか園で青木さんを案内した時に靴箱の上に置いたのを
思い出しました。直子さんの顔はみるみる青ざめていきました。
 しばらくして、直子さんの名前が呼ばれました。部屋の中には三人の面接官が座っていました。
直子さんは一礼をした後、泣きそうな顔で「レポートを忘れてきました。」と頭を下げました。
すると真ん中に座っていた、社長さんがニコニコして「田中直子さんですね。安心して下さい。」
直子さんの書いたレポートを見せて、「ここに届いていますよ。どうぞ,お掛け下さい。」
直子さんは驚きと安堵で体の力が抜けそうになって、へなへなと椅子に腰を掛けました。
 社長さんは続けてこう言いました。「私は今朝、嬉しいことがありました。
会社から外を眺めていた時のことです。青年が困っている姿を見たのです。
誰か気がついてくれるか気をもんでいました。すると若い女性が手を差し伸べてくれたじゃありませんか。
世の中まだまだ捨てたもんじゃないなあと思いました。その女性があなたと知って二度感動したのです。
レポートを読ませてもらいました。ぜひ我が社で働いて下さい。
後日採用通知を送りますので待っていて下さい。」直子さんは体中が熱くなりました。
目にいっぱい涙をためて「ありがとうございます。」と深々と頭を下げました。
 直子さんは会社を出ると足はほがらか園に向いていました。冷たい風が心地よく感じられました。

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