エ ッ セ ー


                  産経新聞の「夕焼けエッセー」に掲載された分

                      平成26年2月3日掲載

                   「息子からの贈り物」  

                       「二人で旅行してきぃや」と24歳の息子にのし袋を渡された.。
                      「こんなにもらっていいの?」。息子は笑っていた
                      夫は仕事を終えて、夜から車で九州へ行くと言い出した。
                      私はそんな遠い所にしなくてもと言ったが「今しか車で九州には
                      行けない」と言って聞かない。
                      帰りはフェリーに乗ると息子に言えば、「無理せんときや!」と言う。 
                      「眠くなったらサービスエリヤで仮眠するから大丈夫や」と
                      夫はガンして譲らない。
                      息子はむっとして「返してくれるか」と袋を持って行った。 
                      せっかく結婚35周年のお祝いをしようとしてくれていたのに・・・。
                       数日して、息子から”寿”と印刷された豪華なのし袋を渡された。
                      中身は倍になっていた。「これで往復フェリーにしたら」と言ってくれた。
                      さっそく、夫はパソコンの前に座り格安のホテルや往復カーフェリーの
                      特等室を利用した半額で行けるプランを見つけた。
                      これには息子も満足してくれた。フェリーで2泊して、熊本と指宿に
                      泊り700㌔を走った。
                      12月半ばなのに紅葉も残っていて、夫はいつものようにカメラで写し
                      まくり千枚を超えた。
                      息子には大阪では買えない鹿児島の酒蔵の芋焼酎をお土産にした。
                      10年前に銀婚旅行に行かせてくれた息子が社会人1年目でまた、
                      プレゼントをしてくれた。
                      思い出がいっぱい詰まった九州旅行になった。 ありがとう。

                      平成25年7月9日掲載
                  「日焼け」
      

                       「どうしたん。その顔!」私は長男を見て叫んでしまった。聞くと、
                      日焼けサロンのお試しに行ったらしい。
                      私は40年前の苦い経験を思い出す。
                      友達と3人で海水浴をするため鳥取に一泊旅行した時の事を。
                      当時は、小麦色の肌が流行っていた。
                       その日は快晴で砂浜を素足では歩けないくらい日差しがきつく、
                      日焼けには絶好の条件だった。
                      海で泳ぐのはほどほどにし、レジャーシートに水着姿で仰向け
                      に寝て目をつむり、太陽光線をガン浴びた。
                      サンオイルもつけず、その結果、こんがり焼けた肌に私は満足した。 
                      ところが翌朝、顔の違和感で目が覚めた。
                      おそるおそる鏡を見て愕然とした。
                      顔全体が腫れている。おまけに、しるが出てジュクジュクしていた。
                      火傷をしたようだ。それも私一人だけが・・・。
                      数日後には腫れも引き、一皮むけたら白い肌に戻った。
                      当時、勤めていた銀行で一週間の休暇に加え、酷ひどい顔になった
                      せいで余分に休んでしまった。 職場の人たちにはバツが悪かった。
                       年を重ねるにつれ、日焼けの副産物のシミが悩みの種になった。
                      無知であった自分に腹が立つ。
                      現在のような美白ブ-ムだったらなあと残念でならない。 
                      長男の赤い顔を見て、私は心の中で呟いた。
                       (あんたの色白の顔が気に入っていたのになあ・・・)


                      平成24年4月9日掲載           
                「おむつ」


                      昨年、娘に待望の赤ちゃんが生まれた。娘は紙おむつ持参で1か月間、
                     我が家に帰ってきた。私は久しぶりに、おむつ交換の機会にふれた。
                     今の紙おむつは品質も良くなり至れり尽くせりの工夫が盛り込まれ、
                     感心させられた。しかし、大量の使用済みのおむつを目の当たりにして、
                     費用もかさめばゴミも増えるのを実感した。
                     それに、赤ちゃんのおむつ卒業が遅れるのではないかと心配になった。 
                     私の子育ての時代は布おむつが当たり前だった。
                      紙おむつといえば、今の原型が出始めた頃だったと思う。
                     高価で品質はいまひとつだったが遠出の時は重宝した。
                      早いもので、孫は6カ月になった。今月から保育園に預かってもらって
                     いる。
                      先日、入園説明会に行った娘が、布おむつを使うと聞いてきて戸惑っ
                     ていた。「惜しいなあ、あったのに・・・」。私が、最近、布おむつを捨てて
                     しまったことを娘に言うと「そんな古いおむつを使えないやろう」と
                     呆れられてしまった。
                     布おむつの場合、赤ちゃんはおしっこをすればダイレクトに不快感を
                     覚え泣いて教えてくれる。
                     即座に替えてやると気持ちが良くなり笑顔になる。実に分かりやすい。
                     でも、油断をすると服まで濡らし、洗濯物を増やして大変だ。
                     雨降りが続くと乾かないからアイロンの出番もしょっちゅうあったなあ・・・。
                     私は娘が赤ちゃんだった頃を思い出し、懐かしかった。
                      ママが板についてきた娘。子育てと仕事の両立は大変だけど、
                     手荒れに気を付けて頑張れ!!




                      平成16年11月22日掲載
                 「キャベツ」
                     
                      久しくお好み焼きを作っていない。わが家では珍しいことだ。
                     度重なる台風被害でキャベツが 高くなって手が出なかった。
                     同じソースもののたこ焼きやタマネギを入れた焼きそばでごまかしていた。
                      今日はお買い得と書いてある。「それでも一玉五百円か、
                     どうしよう」と迷っていると、夫は 「五百円やったら安い方や、この前、半分で
                     その値段やったで」と言う。
                     お好み焼きに目がない夫は、もう辛抱の限界にきているのだろう。
                     この辺で手を打つことにした。
                     キャベツも安い時は、百円である。裸のまま山積みにしてあるそばに外葉が
                     気前よく捨ててあるのに、
                     五百円ともなると、青々した外葉もつけて丁寧にラップをして売っている。
                     私は日頃から夫に野菜の扱いがぞんざいだと言われているが、
                     今日は青葉もきれいに洗い芯も捨てずに細かく刻んで入れた。
                     出来上がって、夫や子供たちを食卓に呼ぶとき、
                      「栄養たっぷりの高級お好み焼きやで」と言ってしまった。

                      平成16年1月15日掲載

                「悲 願」
                         
                     成人の日が近づくと、私は自分が式に出席できなかたことを思い出す。
                    習っていた茶道の初釜の日と重なってしまったからだ。 当時の私は銀行勤め。
                    給与を貯め、奮発してこしらえた振袖だったのに・・・。歳月を重ねるにつれ、
                    未練はつのるばかりだった。 
                     やがて娘の順番がめぐってきた。近づくとあちこちから成人式の晴れ着の
                    カタログが届く。いまの流行はどうかなとページを繰ると、豊富な色や柄の中に
                    私のような絞りの着物もあった。
                    これならいける、と娘にアタック。 「成人式にお母さんの振袖、着てくれへん」と
                    言ってみた。
                    娘は「見せて」「ふーん、赤・・・」。私はすかさず、「これ、高かってんで」「色が
                    白いからよう似合うわ」。
                    どんどん売り込む。着物姿の娘を鏡越しで見るとまんざらでもなさそうだ。
                    私は心の中で、「やったぁ」と叫んだ。
                     当日、娘のために髪を結い、着付けをするひとときは、心が躍り、まるで自分の
                    成人式の朝のようだ。
                    出来上がると、夫は、店の中に作った即席フォトスタジオに立たせ、
                    何枚もシャッターを切り、娘は嬉しそうにポーズをとる。「もう時間やから」と出て
                    いこうとするのを、「あと1枚だけ」と夫もしつこい。 
                     夜、着物をたたんでいると娘が「私の子供にも着せられるかな」といった。 
                    もう、泣かさんといてよ。



   
               平成15年11月25日掲載
               「銀婚旅行」
                      
                     「二人でどこか、旅行でもしてきぃや」 甘えたの末っ子、14歳の息子がこう言った。
                    銀婚式のお祝いをしてくれるらしい。年の離れた兄や姉の賛同を得て、いや、
                    二人を半ば強制的に説き伏せて、積み立てをしてくれた。
                    夫と二人の旅は新婚旅行以来である。夫の運転で一泊二日の木曽路を選んだ。
                    車窓から紅葉の木々を目にして「きれいやなあ」を連発するわたしたち。
                    特に三笠山から望む目の前の御嶽山や南信州の山々は素晴らしかった。
                    写真が趣味の夫が山々にレンズを向ける姿は、水を得た魚のよう。シャッターを
                    切る音が静けさの中に響きわたるのを聞きながら、ここに決めてよかったと思った。
                    あっという間に3本のフイルムを撮り終えると、夫は「うまく撮れてたら引き伸ばして
                    記念にするからな」と、とても満足そうだった。
                     「楽しかった?」 帰宅するや末っ子が待ちかねたように出迎えてくれた。
                    「お陰様で銀婚式のええ思い出ができたわ、ありがとう」と言うと、息子は「次の
                    金婚式も二人だけで行けるか?」と聞く。 
                    「その時はお父さんも年やから、あんたが運転して連れて行ってや」
                    息子は何度もうなずきながら、笑っていた。
                     そういえば旅の前日、「僕も一緒に行きたいなあ」とうらめしそうにしてたっけ。



                      産経新聞朝刊の「きのうきょう」に掲載された分

                   平成19年5月16日掲
                「メタボリックシンドローム」


                    先日、夫からメールが届いた。「メタボリックです。要減量。総コレステロール○○、
                   血圧○○、血糖値○○…。だから、今から山登ってきます」とある。どうやら一週間前
                   に受けた健康診断の結果のようだ。医師には薬を飲みたくないから減量しますと断言し、
                   三ヵ月後の再検査を約束して帰ってきたという。
                   夫は昨年、三ヵ月で五キロの減量に成功した。というのも、六月の長男の結婚式で、
                   私の父のモーニングを着るためだった。試着するや「腸ねん転になりそうや」と言って、
                   ズボンを脱いだ。その夜から、ウオーキングと休日の山歩きに精を出した。
                   ところが、目的を達して気が抜けたのか、ぶくぶく太り出し、一年で元に戻ってしまった。
                   この際、夫婦で食生活の見直しを誓い、スーパーへ行ったら、夫の視線の先には豚肉の
                   ブロックがある。私は「あかんで!」と先手を打った。
                   初日の低カロリーの献立に、夫は「腹減ったなあ。こんにゃくやったら、ええやろ」と
                   聞いてきたが、私が黙っているとあきらめて寝た。
                   実は、私も空腹感で眠れるか心配だった。時計を見れば午前二時。空腹は辛い。


                      産経新聞朝刊『朝晴れエッセー』に掲載された分 

                令和6年6月13日  

                  「早起きは三文の徳

                     時計のアラーム音で目が覚める。今は午前三時過ぎ、外は真っ暗だ。
                    朝食は米飯をしっかり取り急いで身支度を済ませ家を出る。
                    清掃の仕事に就いて六年半が立つ。早朝は空気が澄み切り四季の移ろいを肌
                    で感じながら近くの職場へと自転車のペダルを踏む。気持ちの良いひとときだ。
                    仕事は部屋とフロアでの清掃で、まず高層階から始める。初日、高層ビル群の
                    航空障害灯の赤い光が点灯して連なり目を引いた。
                    夜が白々と明けるごとに景色がはっきりと見えてくる。眼下の街並みから四方の
                    遠くの山々も見渡すことができる。あべのハルカスと南港のコスモタワーは
                    印象的だ。夜型だった私には体験できなっかた光景だった。
                     難儀するのはカーペットに付いた靴跡を掃除機とモップで取ることだ。まだ
                    空調が効いていない中での作業は五月くらいから汗が出る。目に入るのを防ぐ
                    ため手拭で作ったヘアバンドでカバーしている。
                    昨年から携帯の扇風機を首から掛け、熱中症にも気を付けながら水分補強は
                    欠かせない。眺望の良い所での作業は疲れも癒してくれる。
                     帰りは朝日がまぶしい。健康的ですがすがしく働けることに感謝し て、
                    早朝の清掃の仕事も悪くないなあと思う。

       
               
               令和7年2月2日


                   「我が家の節分の日」

                    節分の日が近づくと「恵方巻」の文字を目にする。面が付いている福豆を準備し
                   巻きずしの材料を買いそろえる。
                   当日は夫婦で家族11本の護摩木を持って神社に参拝する。
                    この日の夕飯の献立は巻きずし、鰯の塩焼き、お吸い物と結婚以来ずっと同じだ。
                    家族全員が恵方に向いて無言で巻きずしを一本丸かぶりで食べている光景はいつ
                   見てもいいものだ。
                   ある時、家族の健康を願いながら食べていたら先に食べ終わった長男が
                   「寿司が大きいから食べるのに時間がかかるわ」と言った。
                   食べ終わっていない私は返事ができない。
                   長男が言うのも解る。海苔を半分にして巻けば良いかもしれないが私は板海苔一枚で
                   巻くのにこだわりたい。
                    食事の後は豆まきをする。子供たちは鬼役はお父さんがしてと言って、鬼の面に容赦なく
                   豆をまき、ベランダに追いやる。部屋中に散らばった豆を拾い年齢の数を数えながら食べる。
                    現在は節分の日には必ず帰ってくる独身の末っ子と3人でルーティンをこなしている。
                   年々、豆を数えながら自分の年齢を実感させられる。夫に「節分以外でも巻き寿司を
                   作ってや」と言われる。
                    市販の恵方巻を買う日はまだまだ先になりそうだ。



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