于五来[事業場名簿で干五来]

築港075 〔于潤成(子)の証言、1996年3月23日。1996年5月5日河北大学より受け取る〕

 ・于五来は農民と商売人を兼ねているので、天秤棒を担いで村々を回り、連絡を取り合っているのではないか、八路軍とひそかに通じている嫌疑があると、日本の憲兵隊が于家村(河北省井ケイ(徑の左がこざとへん)県)の于五来の家まで部隊を派遣して、于五来を縄で縛って逮捕し、拷問にかけた。真っ逆さまに頭から水瓶に落とす拷問などで、彼は幾度も死線をさまよった。続いて、于五来は縛られたまま南関の憲兵隊に連れて行かれ、尋問された。さらに、石家荘の南兵営まで運ばれて、再度尋問された。そして今度は日本に送られて、労働改造隊に入れられ、炭坑での労働をさせられた。1943年から1945年(日本が降伏した後)まで続いた。その後、釈放されて帰郷した。