張修発 [事業場名簿で張修法]

川口158 〔本人証言、1999年11月、原陽県で聞き取り(張忠杰)〕

 ・1944年7月に県南部の曹庄で日本軍に拉致され、県城の北関駅に監禁された。次の日に有蓋貨車に乗せられて、済南の新華院に運ばれた。
 ・新華院では、食べ物も少なく、着るものもなく、たえず殴られたり怒鳴られたりしていた。夜寝るときは動くことが許されず、少しでも話し声がするとすぐに監視が飛んできて、頭から血が流れるほど殴られていた。
 ・八月になって、済南から汽車に乗せられ、青島に運ばれた。数百人の人がそこから船に乗せられて、日本に向かった。私の県の人もたくさんいた。毎日小さなウォトウが一個ずつしか配られなかった。
 ・大阪での仕事は夜まで続いた。毎日腹ぺこで、服も古い服のままだった。寒い冬になると、麻袋を探してきて体に掛け、寒さをしのいだ。塩を船から下ろす仕事が一番きつかった。