張辰 [事業場名簿で張成]

築港089 〔本人証言1993年6月、正定県で聞き取り(河北大学)〕

 ・食物屋をして生計を立てていた。1944年7月15日、豊家庄の道路で日本軍の人狩りに遭い連行された。車や食糧などすべてを日本軍に奪い去られた。
 ・大阪でわずかに小さな布団だけが支給され冬は凍えて耐えがたいものだった。冬の間も綿入れの服が支給されず、短めのズボンをはいていただけだ。一日につき5~6両(約300g)の食糧で籾がらがまじっていた。お腹がいっぱいにならず、時には[臓黒豆](油を搾った後の豆粕)を食べさせられる時もあった。
 ・船の荷役をさせられた。お腹が空いていたにもかかわらず仕事中はよく殴られた。暴行は日常茶飯事で時間になっても仕事を終わらせず、交替無しで働かされました。靴もなく素足のままで、歩けなくなるとボロ布や麻袋を巻き付けてどうにか仕事を続けた。少しでも手を休めようものならすぐに棍棒で殴られ、暴行を受けて全身傷だらけになることもあった。