張栄福

築港233 〔張孟奇(子)の2004年5月2日付け手紙〕
     〔張素潔(孫)の2004年3月1日付け手紙〕

 ・当時,私はまだ8歳か9歳だった。私の父・張栄福は当時,晋州駅で切符を売っていた。父は働いている場所に私を連れて行って遊ばせてくれ、シャオピンを買って食べさせてくれた。縛られて連れ去られてから,ずっと何の連絡もなかったので,父は死んでしまったのだと思うことにした。
 ・父が連行され私が祖父を助けるしかなかった。老人と子どもの2人で数ムーの田畑を耕していた。祖父と祖母が亡くなったあと、すべての重責が私の肩にかかってきた。生活の苦しさは,父を恋しく思う気持ちを更につのらせた。
 ・祖父がいなくなってから,もう60年が経った。私たちの方も祖父の当時の状況をもっとたくさん理解したいと思っている。祖父の行方を知りたいという私たちの気持ちは切実なものだった。祖父があの災難の幸存者になってくれていたならと願ってもいた。