周福全

安治川176 〔周福生(弟)の証言、原陽県で聞き取り、2006年12月整理(張忠杰)〕

 ・1944年7月、全路軍たち数人で県城に用事があって出掛けていたところ、県の南関で拉致された。
 ・新華院では苦難をなめ尽くした。あるときは山で働かされ、一つの自由もなかった。夜寝るときも動いてはならず、大小便をするのさえ制約された。
 ・大阪の安治川に着いた翌日、埠頭での仕事が始まった。石炭を船から下ろす仕事が特に多かった。大きな船から小さな船に下ろし、それをまた天秤棒で担いで岸に上げる。一度に50キロ担がなければならない。一日十数時間働かされた。
 ・朝はマントウ一個とスープ一椀。昼は働く場所で握り飯一個。重労働をしなければならず、みんなガリガリに痩せて骨と皮ばかりになっていた。
 ・病気になっても治療してもらえず、餓死したり病死したりした人は、外に出されて火葬されていた。
 ・兄が拉致され、我が家は重大な損失をこうむった。
 ・日本で働かされた間に兄は疲労で体を壊したので、もう農作業はできなくなっていた。兄は働く力を失っていたので、帰ってから結婚もできず独身のままだった。その後、病気で寝たきりになり、恨みを呑んだまま死んでいった。