邵永修

築港239 〔邵蘭淑(娘)の2004年2月24日付け手紙〕
     〔邵蘭淑(娘)の2004年3月27日付け手紙〕

 ・当時、私の家はずっと農業をしていた。16ムー(約105アール)の土地を耕し、牛を1頭飼っていた。祖父母と母と私と弟が一緒に暮らしていた。私の父も農民でした。あの年のある日、父は衡水の市(いち)に出かけた。家は衡水から12.5キロほど離れている。ちょうどそのとき日本軍が若者や丈夫そうな男たちを捕まえていた。父はそのときに捕まえられた。
 ・同じ村の人にそれを聞いてから、母は衡水に行って父を探し歩いたが見つけることはできなかった。そのとき父は29歳。私は6歳で、弟はやっと1歳になったばかりだった。母は2人の子どもと2人の老人を抱え、苦難の中で1日が1年にも思われるような長く辛い日々を送った。数年後,祖父母は相次いで亡くなり、その後も母は私と弟を抱えて苦しい生活を続けていった。