曹連山[事業場名簿で曹連奎]

築港172 〔曹喜賀(子)の証言、1996年4月28日。1996年5月5日河北大学より受け取る〕

 ・1944年の夏、日本兵に拉致され[編注:在住の河北省満城県と思われる]、保定に連れて行かれた。その後、石家荘の南兵営に運ばれ、さんざん殴られて痛めつけられ生きるか死ぬかという目に遭わされた。その後、石家荘から汽車に乗せられて塘沽に運ばれ、そこから汽船に乗せられて、日本の大阪に連行された。
 ・大阪の築港株式会社で、汽船から荷を下ろす仕事をさせられた。日本の現場監督から殴られたり怒鳴られたりしていた。毎日満足に食べさせてはもらえなかった。非人間的な生活を送らされた。
 ・1945年、日本が降伏してから、11月にようやく天津に戻ってきた。そして天津から家に帰ってきた。