孫祥瑞

川口012 〔孫文広(子)の証言、2006年12月、原陽県で聞き取り(張忠杰)〕

 ・父は1944年7月頃、同じ村の数人と一緒に県城に用事で出掛けていたところを日本兵に拉致され、県城の北関駅に閉じこめられた。翌日の早朝、二百人近くの人たちと一緒に有蓋貨車に乗せられ、山東省済南の新華院に運ばれた。
 ・新華院ではわずかな食べ物しか与えられず、着の身着のまま、一日中厳しく見張られていた。動く自由もまったくなく、多くの人がそこで惨めに死んでいった。
 ・日本で船から下ろされ、川口に連行された翌日から働かされた。主に船から荷を下ろす仕事で、大豆、コウリャン、トウモロコシ、小麦、鉄の塊、石炭等を下ろしたが、それらはすべて日本が中国から奪ってきたものだった。
 ・川口では、毎食が質の悪い小麦粉のマントウ一個と薄いスープ一椀だけだったので、いつも腹をすかせていた。夜遅くまで働かされた。ある日、父は穀物を下ろすときに、過って袋を落としてしまった。これを見た日本の現場監督が棍棒を振り上げて、父をめった打ちにした。父は数日間動けないほど殴られ、生死をさまようほどだった。