申茂勤 [事業場名簿で申茂琴]

藤永田125 〔王振(甥)の証言、2006年12月、原陽県で電話での聞き取り(張忠杰)〕

 ・母から聞いたところでは、1943年、母の兄である申茂勤は日本人に拉致されて、日本の造船所に連れて行かれ、牛馬のように働かされたそうだ。豚や犬の食うようなものしか与えられず、生死の境をさまようこともあった。毎日朝暗いうちから現場に行かされ、少しでも仕事がのろいと、すぐに殴られていた。みんな骨と皮ばかりに痩せこけていた。ある人は疲れ切って死に、ある人は病気で動けなくなり現場で息絶えた。
 ・伯父が拉致されてから、家族は労働力を失った。母の下の兄は、自分の兄を捜しによその土地まで出掛け、そこで亡くなった。両親も亡くなり、一人残された母は、あちこち物乞いをしながら生き延びるしかなかった。
 ・伯父は家に帰ったとき、体中に病気を持っており、足も不自由になっていた。その後、母がずっと面倒を見ていたが、病気はどんどん重くなり、1992年に亡くなった。