石洛東 [事業場名簿で史老東]

築港248 〔石卯尓(子)1998年2月7日、聞き取り(河北大学)〕

 ・1944年7月9日(旧暦)早朝、日本軍が今の定州市楊家庄郷辛興村を包囲した。そしてこの村の10人の人を同時に捕まえて、次々と県城へ連行した。
 ・家には17歳の長女(1997年死亡)と5歳の私(今年59歳)と、妊娠6ヵ月の妻がいた。その当時家には約80アールの砂の多い土地があったのだが、作物を作るには水は絶対に欠かせなかった。水をやらない限り良い収穫はあり得なかったのだ。大黒柱を失って、作物を作ろうにも、水がやれないから穀物の取り入れは半分にも満たない。母は人から再婚を勧められたこともあったが、私という跡継ぎがいるもんだから、どんなに苦しくともこの家を守って私を育てあげなければと、ふんばった。
 ・1年間だけ小学校に通ったことがある。しかし家が貧しいため中途で退学した。
 ・父が日本で死んだという知らせは、この村から同じく連行された楊三が帰国後に教えてくれた。