靖風林 [事業場名簿で靖芳林]

藤永田112 〔本人証言、1996年8月、北京市で聞き取り〕

 ・十八歳の頃、館陶県の八路軍工作隊に一年ほどいたが、その後、家に帰って農業をしているときに捕まった。1944年5月だった。一緒に捕まった八十人ぐらいが広平県の県城に送られた。約四十日間、監禁されていた。尋問が数日に一回行われた。食事が出なかったので、家の者が届けに来てくれていた。
 ・その後、邯鄲に連れて行かれた。邯鄲の駅で、亡くなった人が投げ捨てられるのを見た。王秋貴という三十代の人だった。彼は体が弱っていた。
 ・邯鄲から塘沽に運ばれた。塘沽の収容所は木造で、筵を敷いた床に寝た。上に掛けるものはない。素っ裸で、体がくっつくぐらいの狭さ。寝言を言うと殴られた。
 ・食事は、お湯で溶かしたトウモロコシの粥。ハエがいっぱいいた。建物の入り口に木の桶が置かれ、各自が椀に取って食べた。量が限られているので、早い者勝ちだった。
 ・藤永田でやらされたのは、切った板を運ぶ仕事だった。