劉洛平[事業場名簿で劉福利]

築港125 〔本人の証言、1996年1月1日付け河北大学に送られた手紙。1996年5月5日河北大学より受け取る〕

 ・1944年7月24日(陰暦の6月12日)、清風店(河北省定県)で大きな定期市がたつ日だったので、私はシャオピン(焼餅)を売りに清風店に行った。ちょうどそのとき、八路軍を捕まえるという名目でやって来た日本人たちに出くわしてしまった。日本人は中国人に対して虐殺を始めた。そのとき私は逃げ去ることできなかった。目の前で刺殺された人もいた。
 ・拷問の後、石家荘の石門俘虜収容所に入れられ、塘沽に運ばれ大阪に連れて行かれた。
 ・大阪で、食べ物はわずかで、着るものも寒さを防げる服はない。忘れられないことは、私が疥癬に罹ったときのことだ。耳から膿が流れ出しただが、治療はしてもらえなかった。それはもう耐えられないほどのつらさだった。