婁戦彪 [事業場名簿で婁占標]

川口001 〔婁淵社(孫)の証言、1999年9月、原陽県で聞き取り(張忠杰)〕

 ・祖父たちは1944年9月に陽武県城で拉致され、北関駅に監禁された後、有蓋貨車に乗せられて開封、徐州を経て、山東省済南の新華院に運ばれたそうだ。
 ・新華院では、日本人のために飛行機の修理や、山にガソリンの入ったドラム缶を埋める作業をさせられていた。そこから青島に連れて行かれ、日本に行く船に乗せられた。
 ・大阪では、日本人のために船から荷を下ろす仕事をさせられていた。常に日本人から、こっぴどく殴られたり悪罵を浴びせられたりしていた。食べ物は少なく、着るものもなく、冬になっても綿入れの支給はなかった。祖父たちはやむを得ず、麻袋の切れ端を単衣の服の間に挟み込んで寒さをしのいでいた。薄っぺらな掛け布団しかなかったので、夜もなかなか眠りにつけなかった。
 ・非人道的な待遇と虐待から、日本で惨死した人たちもいる。彼らは日本侵略者に対する恨みを呑んだまま亡くなっていった。彼らの体と心はずたずたにされた。