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呂明訓

藤永田156 〔呂照根(孫)の証言、2006年11月、民権県で聞き取り(張忠杰)〕

 ・1943年、日本軍が民権県で祖父を含めた100人余りの人々を拉致した。
 ・帰国できた人の話によると、祖父は大阪の藤永田造船所で過酷な労働をさせられ、非人間的な扱いを受けたそうだ。毎日腹ぺこの状態で、睡眠も十分に与えられず、過労で病気になったが、医者に診てもらえないまま働くことを強制され、手を止めれば殴られたり怒鳴られたりして、最後には身動きもできなくなり、異国の地で死亡したそうだ。
 ・祖父が日本に強制連行されて、一家は大黒柱を失ったために、祖母は幼い父を連れて、命を保つために毎日物乞いをするしかなかった。そうした中で、祖母は夫を思い我が子を思うあまり、精神に異常を来して行方不明になってしまった。私の父は頼れる者が誰もいなくなった。十歳にも満たない子どもが、身寄りのない孤児になり、この世の苦しみをなめ尽くすことになった。日本から帰った人から、呂明訓は日本で死んだと聞かされたが、父はそれが本当だとは思えず、なおも自分の父親が帰ってくるのを待ち続けた。父は死ぬ間際まで再会を待ち望んでいた。