李双文[事業場名簿で李文江]

築港[別]3 〔李桂法(子)の証言、1996年3月28日付け河北大学に送られた手紙。1996年5月5日河北大学より受け取る〕

 ・1944年5月、隣村(河北省無極県)に臨時雇いの仕事に行っていたときに日本の傀儡軍に連れ去られた。そのときの年齢は38歳。父は連れ去られたときに李文江と改名した。当時、父は村で党支部書記を任されていたので、本当の身分が明らかにされるのを避けたかったのだ。
 ・父は無極県で長期間閉じ込められた後、石門捕虜収容所に送られた。その後、天津の塘沽に移され、塘沽から汽船に乗せられて、日本の大阪に運ばれた。大阪では汽船から荷を積み卸しする仕事をさせられた。日本での生活は非情に苦しくつらいものでした。毎日重労働をさせられているのに、食べ物はわずかしか与えられず、日常的に殴られていた。病気になっても放っておかれ、多くの中国同胞が大阪で命を落とした。