李学堯

藤永田011 〔李安一(子)の証言、2006年11月、民権県で聞き取り(張忠杰)〕

 ・1943年、父は39歳のときに日本兵に拉致されて強制連行され、ある造船所で働かされた。父は背が低くて痩せていたので、あまり力がなく重労働に耐えきれなかった。だから、いつも監督から殴られたり怒鳴られたり、様々な虐待を受けていた。父はあらゆる辛酸をなめ尽くしたあげく病気になったが、治療は一切してもらえなかった。帰国するとき、びた一文持たされてはいなかった。
 ・父は家に戻ることはできたが、祖父母は高齢で、父の四人の妹たちもまだ成人していなかった。家には田畑がなかったので、小作に出るか、農閑期にはよその土地をさすらって物乞いをするしか生き延びる方法はなかった。父の病気を治療するような金はないので、飢えと寒さにあえぎながら、父は帰国して四年後に亡くなった。