李永華 [事業場名簿で李文華]

川口094 〔李紀征(子)の証言、2007年2月、原陽県で聞き取り(張忠杰)〕

 ・父が生前話していたことだが、1944年、父は村の人たちと県城の縁日に物を売りに行ったところを日本軍に拉致されて、県城の北関駅に監禁されてしまった。数日も経たないうちに百人余りの人たちとともに汽車に乗せられて、山東省済南の新華院に連行された。
 ・新華院では、食べ物は少なく、着の身着のまま、わずかな自由もなく、厳重な見張りの中、父は辛酸をなめ尽くした。
 ・大阪の埠頭での仕事は、大きな船から岸に石炭を荷揚げすることだった。すべて天秤棒で担ぎ上げ、一度に五十キロ担がされたそうだ。食べ物は全然足りず、病気になっても診てもらえず、少しでも仕事が遅いと、日本の監督から棍棒で殴られていた。