李木[事業場名簿で李清甫]

築港135 〔本人の証言、1996年1月3日付け河北大学に送られた手紙。1996年5月5日河北大学より受け取る〕

 ・1944年の秋、8月のある日の夕方、二人の特務と二人の日本人が定県(河北省)の城内からやって来て、私を拉致し、定県第一中学校に引っ張って行った。その夜、私を定県で汽車に乗せられた。空が明るくなる頃、石家荘に着いた。そこで何度も尋問されたが、私は、自分は商売をしている者だと言った。その頃の私は、実際は八路軍から定県に派遣された地下情報員だったが、特務に気づかれ捕まった。日本の特務は、私の自転車と8枚の手織りの布を持ち去り、私の家の衣服や家具、値打ちがある物をほとんど奪い去った。
 ・日本に着くと、日本の資本家のために汽船から荷下ろしをする仕事をやらされた。食べたもののほとんどは、カビの生えたトウモロコシの粉で作ったもので、着ていたものはボロボロの軍服だった。宿舎は工事現場の大きめの小屋だったが、そこに200人が一緒に詰め込まれていた。賃金はない。生活環境が劣悪だったので、心臓の病気になってしまった。