王在先

川口026 〔王天根(子)の証言、2004年10月、原陽県で聞き取り(張忠杰)〕

 ・父が早くに亡くなったので、生前話していたことを思い出しながら言うと、父は、自分の食い扶持をまかなうために、よその家に作男として働きに出ていた。ある日、陽武県の県城の北関駅で日本人に拉致され、無理やり汽車に乗せられて開封まで運ばれ、そこからまた済南まで運ばれて、新華院に入れられた。
 ・大阪では埠頭での荷役の仕事をやらされた。石炭、大豆、トウモロコシ、コウリャンなどを運ばされた。毎日十数時間働かされていた。
 ・朝は六時に、質の悪い小麦粉で作ったマントウ一個と薄いスープ一椀だけの朝食を取って、すぐに仕事に行かされていた。昼は現場で食べ、夜遅くなってやっと帰されていた。
 ・働かされている間、殴られることはしょっちゅうだった。来る日も来る日も牛馬にも劣る生活をさせられていた。その苦難に満ちた歳月が丸々十八ヵ月続いた。
 ・父は体を台無しにされていたので、帰国後は働く能力を失い、寝たきりの状態がずっと続いて、ついには亡くなってしまった。