王振漢

築港127 〔趙喚娥(妻)の証言、1991年7月付け河北大学に送られた手紙。1996年5月5日河北大学より受け取る〕

 ・夫は1938年から曲陽県(河北省)にあった八路軍の根拠地に向かい地下工作を行っていた。しかし、定県[編注:曲陽県の隣]での活動中、裏切り者の密告によって、敵に状況を把握されてしまい、44年6月、夫は日本軍1714部隊に逮捕された。
 ・夫を逮捕した後、日本兵はあらゆる刑具を使って夫の心身を痛めつけた。連続十数日間、昼夜を問わず拷問を続け、夫は何度も気絶したり息を吹き返したりを繰り返していた。日本兵も本当の状況を聞き出せなかったので、他に方法がなくなり、夫を縄でがんじがらめに縛り上げて、石家荘の南兵営(石門捕虜収容所)に護送していった。そこはまさに生き地獄で、何千何万の仲間たちが死傷していった。夫も例外ではなく、さんざん痛めつけられて、もはや人間とは言えないような姿に変えられてしまった。
 ・夫は中国を出る直前まで厳しい拷問を受け続けていた身であり、大阪に連行された後、ついに夫は病気になり、死の寸前まで行った。日本人は夫がもはや使い物にならないと見て、食事さえ取らせなくなった。苦労を共にしている仲間たちは、自分たちも重労働に加えて、飢えと渇きに苦しめられているにもかかわらず、病に倒れた仲間のために、握り飯を少しずつ食べ残し、水を少しずつ飲み残して、病人の枕元に持ってきてくれた。仲間たちが面倒を見てくれたおかげで、夫の命は保たれ、生きながらえることができたのだ。
 ・帰国時も夫は自分の両足で歩くことができないので、仲間たちが両脇を支えてくれた。そして夫を背負って汽車に乗せてくれ、夫は家まで帰ってくることができた。今も忘れられないのは、仲間の一人は両目とも見えなくなっていたのだが、その人が夫を背負って家まで連れ帰ってくれた。夫が道を説明しながら、互いに頼り合って帰ってきたのだ。