王桂山 [事業場名簿で王植民]

築港096 〔本人証言。原題「到日本大阪当労工(1969,6/19)」、『日軍槍刺下的中国労工 石家荘集中営』新華出版社1995〕

 ・1944年陰暦7月10日、石家荘の永和飯荘にいた時特務に逮捕された。
 ・石門捕虜収容所に着くと、着ていた服と持ち物はすべて没収されボロボロの軍服を支給された。
 ・300人の隊を編成後、各自に新しい軍服が支給され、数日訓練してから出発した。日本兵五、六十人が銃剣をつけた銃を持って両側で護送し、さらに数十人の中国人がこん棒を持ってこうして石家荘駅まで行った。
 ・汽車で塘沽駅まで着き、塘沽収容所の兵隊が列車の日本兵とともに我々を塘沽収容所まで護送した。名簿も持っていた。名簿には写真、姓名が記されており、石家荘収容所の人員が塘沽収容所に持っていった。
 ・数日して、船に乗せられ日本についたが、日本の大阪船舶株式会社に着き荷役をさせられた。二ヵ月程して、日本の指導員は徴兵でいなくなり、大隊長の劉振其は人の生死を顧みず、悪辣なやり方で人を罵り殴りつけ、皆はこれ以上我慢できない状況で、秘かに組織をすすめて彼に反抗しようとした。
 ・1945年4月6日、警察がたくさん来て、我々十数人を逮捕し拘留した。私が釈放されたのは8月20日だった。