王同標
藤永田057 〔田景周(甥)の証言、2006年11月、民権県で聞き取り(張忠杰)〕
・母方の伯父である王同標は、1944年に日本人に拉致されて日本に連れて行かれ、造船所で苦しい労働をさせられた。
・伯父が拉致された後、祖母は息子の身を案じて泣き続け、両目とも光を失ってしまった。その後、病に倒れ、恨みを抱きながらこの世を去った。祖母が亡くなってから、祖父は子どもたちが生きていけるようにと、四人の女の子をよその家のトンヤンシー(その家の嫁にするために子どものときから引き取られる女の子)として送り出した。その後一年も経たないうちに、その祖父も病気で亡くなった。一人残された男の子は、行方不明になってしまった。
・日本が降伏した後に伯父は家に帰ってきたが、そのときにはすでに家もなくなり一家離散の状態だった。極貧のために伯父は妻を娶ることができなかった。1980年に六十歳で亡くなった。