侯志侃[事業場名簿で侯志統]

築港170 〔侯効東(子)の証言、1996年4月7日付け河北大学に送られた手紙。1996年5月5日河北大学より受け取る〕

 ・父は1977年、極左路線の迫害により、死に至った。父は生前、私たちにあの時期の痛ましい体験を語りたがらなかったので、父のあの時期の体験で私たちが知っていることは少ない。〔編集補記:文革中の死亡〕
 ・父は、1944年7月に河北省衡水県で日本侵略者に連れ去られた。父は当時、抗日小学校の教員をしていた。連れ去られたときは生徒たちに授業をしている最中だった。連れ去られてからは、日本の大阪港の汽船の上で苦役を強いられました。その後、父は刑務所に入れられた。刑務所の中では、むごたらしい拷問を受け、殴られて片方の目を負傷したことで視力が落ちていった。シェパードに咬まれた左足の傷は、生涯治癒することはなかった。父は45年12月に帰国した。〔編集補記:侯志侃は傅寿亭たちと共に警察に連行され拷問を受け、日本の敗戦後にやっと解放された〕
 ・父の正義を取り戻すため、父の尊厳を取り戻すため、私たちは日本側に、政治的、精神的、そして経済的な補償がなされることを要求します。