韓安民[事業場名簿で朝安民]

川口106 〔韓進選(孫)の証言、2003年3月、南楽県で聞き取り(張忠杰)〕

 ・1943年、山東省で日本軍と戦闘中、祖父は負傷して捕虜となった。半月後に日本軍は、捕虜にした人々を車で山東省済南の新華院に送り込んだ。
 ・新華院で、日本軍は捕虜一人一人を、責め道具を使ったりシェパードに咬ませたりして、残酷な尋問にかけた。同時に、二度と八路軍には加わらないという手紙を、無理やり家族に書かせた。長い間痛めつけられたあげく、多くの人たちが凍死させられたり、餓死させられたり、殴り殺されたりした。
 ・大阪では毎日十数時間、貨物置き場で石炭や鉱石などの積み卸しをさせられた。ずっと空腹で、冬になっても綿入れはなく、病気になっても治療はしてもらえず、いつも殴られたり罵られたりしていた。
 ・祖父は帰国後、日本で受けた極度の精神的虐待と重度の身体的疾患のために、家に戻ってわずか一年余りで、治療の甲斐もなくこの世を去ってしまった。我が家にとって祖父の死は精神的に大きな痛手であり、家族の心に深い傷痕を残すことになった。