郭老根[事業場名簿で郭老然]

築港111 〔郭三林(子)の証言、1996年3月17日。1996年5月5日河北大学より受け取る〕

 ・1944年6月21日(陰暦)、定県(今の河北省定州市)で村の郭生発と王更印と共に日本侵略軍に拉致された。(そのとき父は43歳)。
 ・定州駅に行き三人で果物を売っていると特務が三人、食わせろと言ってきた。食わせないと、去って行ったが、やがて数人の日本兵を率いてやって来た。特務たちは数発の弾を王更印の籠に打ち込み連れ去った。王庚印は拷問に耐えきれず、三人が八路軍の密偵であると言ってしまった。それで三人とも駅の小部屋で拷問された。
 ・定県第一中学校に十日ほど閉じ込められた後、石門俘虜収容所に連行された。石門では毎日食事前には整列させ、両手で箸を頭のてっぺんまで持ち上げさせて、日本の国旗に敬礼させた。日本人は中国人に対して身体的破壊を行っただけではなく、私たちに対して精神的破壊をも行ったのだ。
 ・石門に40日ほど入れられた後、塘沽を経て、船で大阪八幡屋の船舶株式会社というところに連れて行かれた。
 ・日本人の武内は生活を管理していた。仕事の指導は山下という日本人がやっていた。雑務を管理していた日本人は蟹江という男だった。私たち中国人労工は全員、日本人の監視と管理の下、日本人のために牛となり馬となり、非人道的な扱いを受け尽くしていた。