范徳慎

安治川004 〔本人証言、山東省?博市の本人から電話で聞き取り、2000年8月整理(張忠杰)〕

 ・1944年8月八路軍に入隊し帰省していたとき、裏切り者の手によって売り渡され拉致された。その後、周村の憲兵隊に約12日間監禁され、青島に1日留め置かれ、船に乗せられて、7日後に日本の大阪に着いた。
 ・大阪に着いた後、第3隊の第1班に組み入れられた。隊長と班長は共に侵略者の手先だった。
 ・大阪の労工所で、日本人のために毎日船荷の積みおろしをやらされた。仕事は大変な肉体労働だった。毎日たった2個の、玉子より少し大きいぐらいのマントウしか与えられなかった。飢餓のために、ときには地面に落ちているミカンの皮や海中のコケまでも食べて飢えをしのいだ。
 ・私たち約200人は、夜は大きな木造の建物の中に寝かされた。外では警察が絶えず見張っていた。また冬になっても服を支給はされなかった。寒さに耐えきれず、以前に配られていた木綿製の毛布を、縄を使って服に縫い直して着ていた。