白国文[事業場名簿で白文生]

築港142 〔白英水(孫)の証言、1995年1月26日付け河北大学に送られた手紙。1996年5月5日河北大学より受け取る〕

 ・祖父・白文生は1944年6月15日に日本軍に拉致された。そのとき30歳。よその家にトウモロコシを刈る道具を借りに行くために大通りを歩いていたとき、一人の特務と一人の日本兵に出くわし、同じ村(河北省定県)の同じ姓名の白文生と誤認されて拉致された。
 ・城内の第一中学校の憲兵隊のところに連れていかれ、八路軍と通じていると、むごたらしい拷問が行われ、祖父は何度も気を失った。そのたびに冷水を浴びせられて息を吹き返し、また拷問が始まる。このような拷問が三日三晩続けられた。結局、祖父の口からは何も聞き出せなかった。
 ・祖父の年老いた母親は毎日泣き明かし、泣きすぎたあまりついに両目が見えなくなった。しばらくして病気で亡くなった。父親のほうも怒りのあまり病気になり、働けるのはまだ子どもだった私の父だけという状態で、家族には生きる方法がなくなってしまった。
 ・日本にいた2年間、服が配られたこともなければ、一銭の金も与えられることはなかった。本当に、生きようにも生き抜くすべがなかった。その当時、祖父と、同じ村の范臘月、尹家庄の孫秋爾たちは、何度も一緒に死ぬことを考えた。同じ村の白同愛は、疲れ果てて、日本で亡くなってしまった。