牛連鎖 [事業場名簿で牛左計]

築港153 〔本人証言1994年12月30日、石家荘で聞き取り〕
      〔本人証言1995年8月22~23日、保定で聞き取り〕

 ・1944年6月14日(農歴)、22歳の時日本軍に捕まった。日本軍は私の村を包囲して村民を集め取り囲んだ。その村人の中から20数名を選び出し、連れだして張家荘に連行された。この時に足を痛め今も足が悪い。そこに連れて行かれてすぐに拷問された。針金で両手を縛ってかがませ足の前に手を組ませて手と足の膝の裏に棒を通して動けないようにされた。それから、背中を床につけられ日本兵4人に押さえつけられた。一人が頭をおさえてあとの2人はその棒のところをおさえる。それだけでなく何回も様々な拷問をされた。
・塘沽港から石炭を積む貨物船に乗って大阪に来た。石炭の上に300人が乗っていた。船の中での食べ物はトウモロコシの粉でつくった餅子(ピンズ)だったが、一日2回のみ。
・大阪でもかなり殴られた。仕事をしている時、少しでも休むとすぐに殴られた。
 ・お腹すいて体が動かなかった。食物を拾って食べたことが何度かあった。食料品の運搬の時、監督のすきをみてこぼれた米を拾い集めてゲートルの間に隠した。帰ってきて空き缶で煮て食べた。食料を運搬の仕事をして帰るときは一人ひとり体を探られ身体検査をされた。上から下まで監視の目が厳しく光っていた。拾い集めた生米が監視員に見つかり、その場から連れ出されて殴る蹴るの暴行を受けた。あと頬がはれあがり体のあちこちが痛んだ。私達はあまりにも空腹で、口に入るものは生であろうと何でも食べないと生きていけなかった。