魏五輩 [事業場名簿で魏五倍]

築港245 〔魏運庫・魏運輝(孫)の2004年2月24日付け手紙〕
     〔魏運庫・魏運輝(孫)の2004年3月26日付け手紙〕

 ・1944年5月のある日、深県の日本軍憲兵隊の掃討によって私の祖父は捕まえられ、このときから祖父の行方はわからなくなってしまった。
 ・祖父は当時31歳だった。私と運輝は従兄弟同士で、私たちそれぞれの父親は魏五輩の息子たちだ。父たちは6人兄弟で、祖父が連れ去られたその年、三男は病気になったが治療してやる金がないために亡くなった。当時長男の魏永増は13歳で、生計の道を探すために故郷を離れていった。次男が私運庫の父の魏増署でそのとき7歳、日本兵が祖父を縛って車に乗せて連れ去ろうとしたとき次男は車を追って走りだした。日本兵が銃をかまえて彼に向かって発砲したが、幸い周りにいた同郷の人たちが彼をそばに引き寄せてくれた。そうでなかったらたいへんなことになっていた。四男の魏増余は5歳で、五男はわずか3歳だった。その五男が運輝の父の魏増水だ。その下の妹、私の叔母である魏巧祥は1歳になったばかりだった。祖父がいなくなるまでは、一家そろって和気あいあいと暮らし向きのほうもなんとかやっていけていたのだ。祖父が労工として連れ去られたあと、家には祖母と子どもたちだけがとり残された。それからの彼らの生活がどれほど苦労の連続であったか容易に想像できる。その末に祖母は60歳でこの世を去った。