袁石頭 [事業場名簿で袁老妙]

築港062 〔袁二成(子)の1998年2月19日付け手紙(河北大学経由)〕

 ・1944年6月28日、家で日本兵に捕まり于家庄の日本軍の拠点に連れて行かれた。45歳だった。私の母はあちこちに借金して回り、穀物を売りやっと掻き集めた金を持って行ったが父を救い出すことはできなかった。私の家は土台ごと破産してしまった
 ・石家荘の強制収容所に護送された。食べ物もほんのわずかしか与えられず、小さなウォトウとわずかな野菜のスープだけ。
 ・大阪では来る日も来る日も朝から晩まで、船に積み込んだり船から卸したり、丸一日中働かせて、休ませることがなかった。
 ・1945年11月に帰国したが、日本で飢えと過労による病魔に襲われたため、帰国後もずっと病気のままで、ずっと治療したが病状は重く、1956年11月になると病状は悪化して、同月の29日に病没した。