閻黒子 [事業場名簿で閏黒子]

築港037 〔閻金英(子)の1995年11月14日付け手紙(河北大学経由)〕

 ・解放区と八路軍に食塩を運んでいた。1944年6月5日に保定警務段の日本特務が人狩りに来て富昌村で捕まった。12日間ありとあらゆる拷問を受けた。
 ・石門捕虜収容所で毎日高梁めしを食わされた。量もほんの少しだけで、飲み物も水が少々配られただけだった。そんな状態なので、ある者は餓死した。
 ・大阪では食べる物もろくになく、毎日のように餓えた。
 ・1945年11月に帰国したが、大阪で受けた頭の傷の為に、その後もずっと意識朦朧としたままの状態で1975年にこの世を去った。