袁景林

築港243 〔袁明位(子)の1998年2月19日付け手紙(河北大学経由)〕

 ・1944年6月28日、家の中で日本兵に捕まえられた。道々、拳骨で殴られ足で蹴られ、于家庄の日本軍の拠点に連れて行かれた。44歳だった。大阪へ連行され死亡した。
 ・同じ村の人が帰国してから話したことによると、大阪の埠頭で昼も夜もなく一日中積み卸しの仕事をさせられ、私の父は身体が衰弱していて疲労が極限に達していた。間もなく、重い病に罹ってしまい、病気になっても治療は受けられない。(1945年6月1日、宿舎で寝ているところ、空襲により焼死)
 ・今になっても父の遺骨さえ、父の遺留品さえ受け取ってはいない。
 ・父が日本へ連行されたあと、6歳の兄と私と母が残されたが、わずか13アールの田畑があるだけで、それすら耕しようがない。やむをえず母方の祖父を頼っていったが、生活は困難を極めた。