田双喜[事業場名簿で田福禄]

築港143 〔田壮街(子)の証言、1996年0月。1996年5月5日河北大学より受け取る〕

 ・1944年の陰暦7月11日に、劉家庄村(河北省定県)の劉小田の手によって東関廟(河北省定県)から拉致された。父はまず定県第一中学校に連れて行かれ、半月ほどそこに閉じ込められていた。その後、石家荘に送られた。この間、我が家では土地や家屋すべてを売り払い、あらゆる手段を講じて父を救い出そうとしたが、まったく効果はなかった。家族の生活も深刻な打撃を受けた。
 ・塘沽から船に乗せられ日本に運ばれてたが、もうすぐ日本に着くというとき、日本の鬼どもは、父の同胞の田月海(?台の人)を海に放り込んだ。
 ・大阪で下ろされ、船舶株式会社のためにきつい肉体労働をさせられ、毎日20時間ぐらい働かされた。働かされていた期間、服や賃金の支給は一切なかった。現場で父たちを率いていたのは、田中という30歳ぐらいの男で、定州にしばらく住んだことがあると言っていたそうだ。殴られるのはいつものことで、常に空きっ腹を抱え、病気になってもほったらかしにされていた。入浴や散髪など言うまでもないことだ。また、作業中に父は手を押しつぶされて、指を3本失っている。